ここのところ帽子はつばのあるソフトをほとんど被っていないことに気がつきました。キャップかキャスケット(CASQUETTE)と呼ばれる、ちょっと昔風な、ハンチングでもない、ま、例えたら昔の新聞売りの子どもが被っていそうな帽子を被っています。チャンスがあると、こんな帽子に手が伸びてしまいます。多分、フードのあるコートを被るとソフト帽子が合わないということに遠因があるような気がします。ソフトを被るとまるでギャングの親分になってしまう(まぁ、実質そんなようなものですが)麻生太郎を思い浮かべてしまう、ということもあるかと思います。奴のおかげで、ツバの広い帽子の肩身が狭くなったことは否めません。
私はいわゆるハンチングがまったく似合いません。どんな色のものを被ってもほとんど金嬉老という昔話題になった人にそっくりになってしまうのです。
1-2年前までの日本の帽子屋にはこの種の帽子はほとんどおいてありませんでした。ところが今年になって行きつけの帽子屋に足を運んでみると、あるわ、あるわ!オリジナルまで作っています。
今帽子は売れ出しているんだそうですが、若者向けとおっさん向けに大きく分かれています。若者たちは次から次へとっかえひっかえ被っていられるようにそれなりのものが作られています。おっさん向けは私たち団塊の世代がリタイアしてから売れ出しました。多分みんな勤め人時代はまったく被らなかったのに、今になって被りだしたのだろうと思います。嬉しそうです。昔は老いも若きも必ず頭に何かを乗せていましたねぇ。旦那衆が被るものと下々が被るものが明確に分かれていました。このキャスケットは勿論下々が被っていたもので、丁稚の定どんあたりが被るのが定番だったといっても良いでしょうか。大正時代の浅草六区の写真なんてのを見ると、たまの藪入りでお休みを貰った丁稚連中がこれを被って映っています。