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雇用流動化へ「40歳定年を」 政府が長期ビジョン
 国家戦略会議(議長・野田佳彦首相)の分科会は6日、国の長期ビジョン「フロンティア構想」の報告書をまとめた。国家の衰退を防ぎ、個人や企業が能力を最大限生かして新たな価値を生む国家像を2050年に実現するための政策を提言。「40歳定年」で雇用を流動化するなど労働生産性を高める改革案を盛り込んだ。
 学識者や企業人らで構成するフロンティア分科会(座長・大西隆東大大学院教授)が野田首相に報告した。首相は「社会全体で国づくりの議論が喚起されることを期待する」と述べ、近くまとめる日本再生戦略にも反映する意向を示した。
 改革案の柱は雇用分野だ。60歳定年制では企業内に人材が固定化し、産業の新陳代謝を阻害していると指摘。労使が合意すれば、管理職に変わる人が増える40歳での定年制もできる柔軟な雇用ルールを求めた。早期定年を選んだ企業には退職者への定年後1〜2年間の所得補償を義務付ける。社員の再教育の支援制度も作る。雇用契約は原則、有期とし、正社員と非正規の区分もなくす。
 もっとも定年制の前倒しには労働者の強い反発が必至だ。社内教育で従業員に先行投資する企業側の抵抗も予想される。改革の実現には転職市場や年功型の退職金制度、人材育成などと一体的な検討が必要だ。改革案は長期的な指針で、全て早期に実現を目指すという位置づけではない。
 報告書は現状のままでは日本は新興国との競争に敗れ、少子高齢化も進んで50年に「坂を転げ落ちる」と予測。将来の理想は付加価値の高い産業が立地する「共創の国」とした。時間や場所を選んで働けるようになれば仕事と育児を両立できる人が増え、出生率は改善すると見込んでいる。(日本経済新聞web版 2012/7/7 2:23)(報告書はこちら

 一体どんな人たちがこういうシナリオを書くんだろうかとそのフロンティア分科会なるものをまず知らないといけないと検索するとこういう事が書かれている。

フロンティア分科会
 日本人が「希望と誇りある日本」を取り戻す上で重要なのは、中長期的に目指すべき国の将来像を示すことであり、その実現のため、切り拓いていくべき新たなフロンティアを提示することです。フロンティア分科会は、2050年までを視野に入れた我が国の将来像を描くとともに、国際的・社会的環境が大きく変化すると予想される2025年に向けた方向性を検討し、その内容を中長期ビジョンとして取りまとめていきます。(こちら

フロンティア分科会メンバー

 座長の大西隆は都市工学の研究者で日本学術会議会長。小林光は今は慶應義塾の教師であるけれど、元はといえば環境省事務次官である。
 ま、往々にしてこの種の会議は政権がどこだろうとほとんど意味がなくて、人選は霞ヶ関が自分たちの描くシナリオに大きな異論を唱えることなく、概ねプロセスとしてこなしてくれる人であればよい訳で、HPを見ているとこの分科会も今回の報告書をまとめるまでに数回の会合を持っただけのようでもある。議事録は公開されてはいるものの発言者はメンバーの誰が発言したかが特定されていない。ただ、如何にも民主党色らしいのは事務局長が(実際に動いているのは霞ヶ関以外の何者でもないだろうけれど)PHPだという点だろうか。

 2050年、つまり40年後に「日本は新興国との競争に敗れて」とあるのは「一体何の」競争に敗れてなのかというと、いわゆる「経済競争」に敗れて、ということで、そういう意味では40年後を見据えようとしている割にはそこの根本的な思想が変わっていない。

 その設定ではその頃にはずぶずぶの高齢化社会となっていて、労働人口が極度に払底してきている筈ではないだろうかと思う。今ネット上で取り上げられているのは「定年を40歳にして柔軟な雇用ルールを求めた」という部分だ。
 報告書の冒頭、大西の名前で語られているのは「人口急減に歯止めをかけ」「人生を複線化し、学び直し、働き直しを行うことができ」「対等互恵、切磋琢磨する隣人としての関係を発展させ」「アジア地域における友好的な諸関係を形成することが肝要」だとして、そのためには「新たな国際ルールの創造者(ルールメーカー)になることを日本の役割と自覚すること」が必要だといっている。
 「誰もが同じ機会をもち、勤労やその他の諸活動を通じて自己実現でき、願う生活を営める、さらに負担にも公平感があるという社会に近づける努力を不断に行わなければならない」といっていて、これにはなんの異論もないだろうし、異論を挟める倫理は考えにくい。
 幸福のフロンティア(3)としてこんな事が書かれている。

 就労は自分の能力を発揮し、社会に参加する権利である。高齢者、女性、障がい者なども含めすべての人々が就労できるように、正規−非正規に二分された就労形態の解消、在宅勤務の促進、長時間労働の抑制など、フレキシブルな就労形態を促進するとともに、年齢や障がいになどによる差別の撤廃等、雇用環境の改革を行う。

 この考えからするとどうして40歳定年という考えが出てきて、それが「柔軟な雇用ルール」なのだという考えが出てくるんだろう。

 「繁栄のフロンティア」報告にこう出てくる。

 少なくなる人口で経済を保つためには「75歳までみんなで適材適所を見つけ、そのためにはやり直しができるようなシステムを構築し、フレキシブルに仕事を捉えて活動していきましょう、人生は80年も生きられるようになったんですから」というわけだ。

 「現在、企業の定年年齢の引き上げが進んでいるが、こうした制度改正は、一つの企業内に人材を固定化させ、企業内の新陳代謝を阻害し、企業の競争力を低下させることで、かえって雇用の減少に繋がる恐れがある」といっているのだけれど、ここが大いに疑問を持つ点だ。
 企業はドンドン雇用に縛られることがないようにしなくちゃいけないといっている点がはなはだ問題になる。というのは今もうすでに企業はドンドン雇用の縛りから解放され、正規社員としてぶるさがることのできる人たちは限られ、多くは使い捨てにされるどころか、研修という偽名によって導入された外国人や買い叩きの労働に職場を奪われていっている。

 「有期を基本とした上述の雇用契約が実現するまでの過渡期の段階において、全ての国民が75 歳まで働ける社会を形成するためには、定年制の概念も見直す必要もある」としている。いくつになっても働いていないと喰えない状況にしていくことによって労働力を確保していくと読めないこともない。

 この提案がどれほど真剣に読まれるのか、はなはだ疑問が残る。表層的な良いとこ取りが横行する危険性がたくさんある。