ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

お世話になりました

 1979年の12月から2ヶ月半、ユタ州Salt Lake Cityに滞在した事がある。世の中がまだのんびりとしていて、一回停滞してしまった経済をもう一度盛り返そうとする時代だったといっても良いのだろうか。
 当時働いていた会社では前年から毎年この時期に5人の30代社員を選定してこの地に語学研修に出していた。これを聴いただけで「良い時代」だったという事がわかる。今頃は一体どうしているのだろうか。
 私はその二期生の中の一人だった。この2.5ヶ月の間に3軒の家にホームステイした。受け入れ側は小さな事務所を構えたモルモン系の語学研修企業だった。会社が嘱託として雇っていた英語教師のルートでここが選定されていたらしい。午前中は5人が日本語を使うと罰金という方法を採用して基礎的な英語研修をし、午後からはそれぞれが自分でアポを取って出かけるという毎日だった。
 その毎日のホームステイの面倒を見てくれていたのが私よりもほんの少し年上の女性で、彼女の旦那は歯医者だった。自分の家にも研修生の一人を住まわせていたが、ホームステイ受け入れ家庭を探しては学生をあてはめていった。誰も彼もが同レベルの英語力を持っているわけではないし、性格も様々だからとても難しい仕事だっただろう。
 私がお世話になった3軒も様々で、経済状態も年代もばらばらだった。1軒目は小学生の二人の娘がいる東部のエリート校を卒業した夫婦だった。この家ではクリスマスに会社の部下を呼んだホームパーティーを開いたりするお金持ちだったけれど、10数年前には離婚して東部にいるらしい事はわかったけれど、その後は消息がつかめない。
 2軒目はアイダホ出身で幼子3人を抱えた靴屋の店員をしている旦那と専業主婦の夫婦の家でこの家では私を受け入れるのは明らかに家計の足しの為だった。
 3軒目は元はモルモンの家庭に育った旦那と互いに再婚の奥さんの夫婦だった。お互いに二人の子どもがいて長男は高校生だった。旦那は医者のコンサルタントをしていて、郊外にメキシコ人が住んでいるアパートを持っていた。このうちでは餃子を作って子どもたちは一口喰うとまずいといって逃げた。夫婦は我慢して食べていた。今思い出すと冷や汗だ。
 そんなアレンジをしてくれていた女性がその旦那とふたりで20数年ぶりに日本へ来るといって楽しみにしている。残念ながら私とはすれ違いになってしまって逢えないが、長いメールをくれた。
 あの頃の事がよみがえる。まだまだ古き良き時代のアメリカの残渣が残っていた時代だけれど、あの年のテヘランの米国大使館占拠事件以降、世の中が大きく変わってきた。
 ボストンの爆破事件でアトランタ・オリンピックの時の爆弾事件を思いだした。世の中は乱暴になった。1945年に終わった戦争から70年近く経って、あの戦争で深く刻まれた心のひだも、どんどんそんな記憶がない世代が増えてくるに従って振り返られる事も少なくなり、あたかもそんなものはなかったかの如くになってくる。
 歴史を知る事ができるのは人間だけだ。しかも人間はどれが正しくて、どれを誰が意図を持って無視しているのかも知る事ができる。