ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

国会・慰安婦

40 - 衆 - 社会労働委員会 - 27号 昭和37年04月11日

小林(進)委員(社会革新党から日本社会党) 個別のケースはあとでお話しします。時間がありませんから、一つずつ問題をお聞きします。次に、軍の慰安婦ですね。私も兵隊に行きましたからよく知っていますが、慰安婦は、陸軍でもどこの部隊にも所属部隊がございました。こういう慰安婦が敵襲を受けて敵弾によって倒れた、こういう場合は一体どういう処置を受けるのでしょうか。
山本(淺)政府委員(厚生省援護局長) いわゆる大陸等におりました慰安婦は、軍属にはなっておりません。しかしながら、敵襲を受けたというような、いわゆる部隊の遭遇戦といったようなことでなくなられた場合におきましては、戦闘参加者として準軍属の扱いをしておるはずでございます。
小林(進)委員 これはここで一つずつケースをお聞きしてもいいのでございますが、次に、諜報機関に従事をしておりまして、身分関係が表面に出ていない。私が先ほどお尋ねしましたのもその一例であります。特殊の通信工作に任じていたとか、あるいは身分も――御承知の通りに、戦時中には中野にスパイ学校というのがありまして、もっぱら特殊工作員の訓練を受けたりしておりました。こういうのは本籍も抜いてしまって、いろいろの変装、いろいろの偽名をさせて諜報任務に従事せしめたわけです。戦時中こういうのが多かった。戦地においてもそういうのが多かったのでありますが、こういう人たちの戦死とか戦傷を一体どう扱われているかという問題であります。
山本(淺)政府委員 やはりきめ手になるのは、当時その方が、軍から給与が出ていたかどうかということが根本のきめ手になると思います。給与が軍から出ておりますれば、援護法にいう有給軍属の扱いをしているはずでございます。それから軍から給与が出ていない場合もあるかと思いますが、そういう方につきましては、戦闘参加の状況にある方でありますれば、いわゆる戦闘参加者としての準軍属扱いをしているはずでございます。なお、特定の人がございますれば、よく事情は承らしていただきたいと存じます。
小林(進)委員 いま一点で終わります。次にお伺いいたしたいのは、学徒動員の中の、これは先ほどからも永山委員が言われたように、徴用は普通の援護資金の半額で、しかも五年で打ち切るなんということの局長の答弁がありましたけれども、これはやめていただかなければならない、そういう御努力をお願いしなければならないのでありますが、沖繩のひめゆり部隊というのは一体徴用なのか徴用でないのか、全員参加して全員死んだというような形のものは一体どうなっているか。ひめゆり部隊だけではございません。特に沖繩には牛島部隊がいて、全島あげて戦いに参加をするような形をとられたのでありますけれども、ああいう人たちが一体どういう処置をせられているのか、承っておきたいと思うのであります。
山本(淺)政府委員 多分間違いないと思いますが、ひめゆり部隊は、有給軍属として全員扱っているはずでございます。これに類以のものも、おそらくそうなっているはずでございます。ひめゆり部隊のようなもの以外のものにつきましても、軍に採用されたという形をとっておりますれば、有給軍属として扱っているはずでございます。また沖繩につきましては、一般在住民で、こうしたいわゆる隊組織でない戦争従事者、戦闘協力者があるわけでございますが、現地のああした凄惨な戦いの状況にかんがみ、また当時の所在の陸海軍と住民との関係から見まして、なるべく広範に戦闘参加者として取り扱うことが援護法の立法の趣旨にも合うものでないかということで、なるべくそのような趣旨で今まで裁定も進め、今後も処理していきたい、こういうふうに考えます。

58 - 衆 - 社会労働委員会 - 21号 昭和43年04月26日

後藤委員(後藤俊男 日本社会党) 大臣のほうが、時間が十分ないそうでございますので、まず第一番にお尋ねいたしたいと思いますのは、大東亜戦争当時、第一線なり、いわゆる戦場へ慰安婦がかなり派遣されておったと思うのです。私も内々これらの派遣されたいきさつにつきまして、できるだけ、どういうふうな計画でどういうふうにやられたかを調べようと、かなり苦心をしたわけでございますが、聞くところによりますと、無給軍属ということで派遣をしておる。さらにこの派遣につきましては、それらの業者と軍との間で、おまえのところでは何名派遣せよというようなことで、半強制的なようなかっこうで派遣されておるというようなことも私聞いておる次第でございますが、さらにこれらの派遣された慰安婦につきましては、戦場におきまして、戦闘がたけなわになると、あるいは敵の急な襲撃等があった場合には、看護婦の代理もやっておる。さらに弾薬も運ぶというような、さながら戦闘部隊のような形でやられておるというような実績もかなりあると聞いておるのです。いま申し上げましたような、この慰安婦に対する現在の援護法の適用の問題でございますけれども、これも、過去において5-60名適用したこともあるというようなことも聞きました。これは、たとえば自分の家族なりきょうだいなりが戦場に派遣された――振り返ってそういうことは言えるわけでございますけれども、しかしながら、あまりかっこうのいい話ではございませんので、言いたくても言わずにしんぼうしておる人があるんじゃないかというふうなことも推察できるわけなんです。いま申し上げましたような、先ほど言ったように、戦場で、あるときには戦闘部隊になり、あるときにはたまを運ぶ、あるときには兵隊さんを肉体的に激励する、こういうふうないろいろな苦労をした慰安婦に対しまして、この援護法との関係、いままでの経過、さらにこれからの問題につきまして、どういうふうな方向をとっていこうとされておるのか、この点につきまして大臣にお伺いをいたしたいと思います。
園田国務大臣 ただいまの御指摘の問題は、その実情が、海軍と陸軍とで関係も違っておりますし、それからもう一つは、戦争の初めごろと終わりごろとではまた資格、契約等のことも変わっておるようでございます。また終戦後の混乱時については、御指摘のような点もございますが、事の本質上、この問題として援護することは実態もなかなかわかりませんし、調査も困難でございますので、じかにこの問題として取り上げることはなかなか困難な問題が多いわけでございますが、委員の御指摘の点、私もそのように考えますので、たとえば無給軍属の契約をしておる、あるいは戦争の混乱時で後方勤務をやったとか、あるいは弾薬運びをやったとか、あるいは看護婦さんの仕事をやったとか、そういうものはそういう面からできるだけ広げていって、将来こういう方々にも何とかお報いができるような方針で、事務当局で検討したいと考えております。
後藤委員 いま大臣が言われたのは、こちらがやかましくてあまり十分聞き取れなかったわけでございますけれども、私はこのいま申し上げました問題について、別に厚生省なり政府としても、そういう関係にあった者については援護法を適用しますというようなPRも全然していないと思うのです。さらに通達その他につきましても、例示等をして、こういう件については援護法が適用されるのだ、こういうふうなことも全然されておらないと思います。先ほど言いましたように、50名ないし60名が適用されておるというのは、だれかに聞いて、聞いた者だけがうまくやったと言うと語弊がありますけれども、そういう人だけは適用されたのではないかというふうに思うわけでございますけれども、当時大臣も兵隊に行っておられて、慰安婦等の数なりその他につきましては、千名や二千名ではなかろうと思います。おそらく数千名の慰安婦が第一線なりその他多くの戦場に派遣されておった、これはもう間違いないと思うのです。その中の、先ほど申し上げましたような犠牲者が、全部うまく把握されて援護法の適用をされておるかというと、そこまではいっておらないと私は思います。それなら一体、先ほど申し上げましたような条件にある人を、その援護法の適用対象にする、そういうようなことになったといたしますと、それなりの何かの手続をしていただかないと、せっかくそういう条件にありながら、ありがたい法律が適用されないことになってしまう、こういうふうに思うわけでございますけれども、その辺のところはいかがでありましょうか。
実本政府委員(厚生省援護局長 実本博次) いま先生のお話にございますいわゆる慰安婦と申しますか、そういった人々の問題につきましては、援護法のたてまえからいたしますと、先ほど大臣も申し上げましたように、ちょっとそういう見地からの適用のことを考えたことがございませんので、実は何らそういう面からの実態を把握いたしておりません。ただ、大臣が先ほど申し上げましたように、現実に本来の尉安婦の仕事ができなくなったような状態、たとえば昭和20年の4月以降のフィリピンというような状態を考えますと、もうそこへ行っていた慰安婦の人たちは一緒に銃をとって戦う、あるいは傷ついた兵隊さんの看護に回ってもらうというふうな状態で処理されたと申しますか、区処された人たちがあるわけでございまして、そういう人たちは戦闘参加者あるいは臨時看護婦というふうな身分でもってそういう仕事に従事中散っていかれた、こういうふうな方々につきましては、それは戦闘参加者なりあるいは軍属ということで処遇をいたしたケースが、先ほど4-50と申し上げました中の大部分を占めておるわけでございます。したがいまして、こういう人たちの実態というものは、先生が先ほどちょっと触れられましたように、現実には何か相当前線の将兵の士気を鼓舞するために必要なわけで、軍が相当な勧奨をしておったのではないかというふうに思われますが、形の上ではそういった目的で軍が送りました女性というものとの間には雇用関係はございませんで、そういう前線の将兵との間にケース、ケースで個別的に金銭の授受を行なって事が運ばれていた模様でございます。軍はそういった意味で雇用関係はなかったわけでございますが、しかし、一応戦地におって施設、宿舎等の便宜を与えるためには、何か身分がなければなりませんので、無給の軍属というふうな身分を与えて宿舎その他の便宜を供与していた、こういう実態でございます。いま援護法の対象者としては、そういう無給の軍属というものは扱っておりませんで、全部有給の軍属、有給の雇用人というものを対象にいたしておりまして、端的にいいますと、この身分関係がなかったということで援護法の対象としての取扱いはどうしてもできかねる。しかしながら、先ほど申し上げました例のように、戦闘参加者なり、あるいは従軍看護婦のような臨時の看護婦さんとしての身分を持った方々につきましては、そういう見地から処遇をいたしておるわけでございまして、もしそういう意味での方がこういう方々の中にまだ処遇漏れというふうになっておりますれば、援護法は全部申請主義でございますので、そういう人があれば申請していただくということになるわけでございます。ただ、時効の問題その他ございますが、そういう面で援護法の適用をそういう方々にしてまいりたいというのが、このケースの処理としていまのところ援護局と申しますか厚生省の態度でございます。
後藤委員 そうしますと、いま言われましたように、たとえば第一線へ派遣されたその人らが戦闘に参加した、あるいは看護婦という身分にはなっておりませんけれども、看護婦と同じ作業に従事させられたというとおかしいのですが、従事した、それでなくなった、こういうふうな人もあると思うのです。それらの人に対しては援護法を適用してもよろしい、そういうことなのですか。
実本政府委員 いま先生のおっしゃいますようなケースといたしましては、戦闘参加者なり、あるいは臨時看護婦としての身分でなくなられた人については、当然請求をしていただいて裁定する、こういうことに相なります。
後藤委員 そうしますと、いまあなたが言われたように、当時第一線なり戦場へどれくらいの数の慰安婦が派遣されておったか、数千人だろうというふうな想像をいたしておるわけでございますけれども、これらの中に、先ほどの援護法を適用してもよろしいというような条件に該当する人があったとしたならば援護法の適用をされるわけなのです。ところが、局長も言われるように、これは申請しなければ問題にならない。しかしそれらの条件に該当する遺族なりそれらの人は、全然そういうことを知らないと思うのです。百人のうち一人や二人は知っておる人があるかもしれませんが、ほとんどの人がわからない。わからなければ申請をしない。申請をしないからこのままいくのだ、こういうふうなかっこうに進んできたのが今日であり、これからもそういうふうになるのではないかと思われるわけでございますけれども、局長がせっかくそこまではっきりきちっと言い切られましたら、それらの条件に該当する人については、これは援護法の適用がされるのだということで、やはり連絡なり、PRなり、通達なり、それらに十分なる手配をとっていただく必要があると思うのです。
 それと同時に、こんなことを申し上げるとまことに失礼かもしれませんけれども、それらの条件に該当する人は、生活も裕福な人は少なかろうと思うのです。いわば生活に非常に苦しんでおられる家庭の人が多いのじゃないか。しかも遺族の人も、まことにいい話ではございませんので遠慮しがちになってくる。全然声が出てこない。そういうところへこの援護法等の適用につきましても手を差し伸べていくのが政治の力であろうと私は考えるわけです。だから、これは具体的に局長として、いま申し上げました問題をどう進めていこうとされておるのか、もう少し具体的にお答えいただきたいと思います。
実本政府委員 先生のおっしゃることはまことにごもっともなことでございまして、単にいま先生のおっしゃるケースだけではなくて、やはり同じような法の適用が受けられるケースというもので、現実には当たっているのだけれども、当たっているかどうかわからないままに、たとえばこれは、法律ができましてからいろいろな請求の時効は七年の期間を与えておりますが、七年間徒過してしまったというふうな人がほかにもあるわけでございます。特に援護法とか恩給法とかいうものは、非常に難解でございまして、そのときそのときでまたいろいろ範囲の拡張とかあるいは給付の対象になる人の拡大とかいうふうな改善が行なわれまして、継ぎはぎ継ぎはぎで、専門家が見ましても非常に難解な法律になっておりますので、その点は特にそういう方々にとっては、条件の逆に働いている場合だと思います。ただここで私が申し上げましたように、現にこういう方々であって、援護法上の準軍属なり軍属として処遇されていた方々は、これはもうはっきりとそういうケースとして、軍のほうから戦闘参加を要請したというケースが事実としてあり、あるいは日赤の従軍看護婦のような臨時に雇った者につきましては、そういう事情がございます。それから、ある前線からある前線へ大量の人を輸送船で運んでいた。それが海没したような場合につきましては、はっきりそういう人たちのケースがわかっておりますので、ほんとうに先生がおっしゃられるような準軍属なり軍属として取り上げてもいいような人たちについては、おおむねそういうケースとして処遇してきたつもりであります。しかし、それの数は、さっき先生が言われましたように、われわれのほうとしても的確な数字を持っておりませんが、大体四、五千というふうなことを聞いております。そのうちの四、五十人ということでございますから、あるいはまだほかにそういったケースも、知らないために眠っている、あるいは泣いているという方があることが考えられます。これは援護法のほかの対象者にもそういうことがございますので、この問題のみならず、常にそういった人たち全体についてのRRなり徹底の方法といたしまして、月並みではございますけれども、年に二回、都道府県の部課長会議を開いて、そういった意味での徹底を、窓口でございます市町村の援護係のほうにさせるようにやっておるわけでございます。そういった都道府県、市町村のルートを使いまして、こういった問題、特に法律改正があるとか、あるいはいろんな特別措置が行なわれるとかというようなことになりますときには、その問題と同時に、そういう意味でのPRをして、一人でも漏れのないようにしていくということをやっておるわけでございますので、そういう際には、こういうケースは必ず徹底するように運んでいく、いまの段階ではそういうことを考えております。
後藤委員 そうしますと、いま局長が言われましたように、さっきのような条件につきましては援護法の適用はされるんだ。だけれども、いままで知らずに漏れてきた人――四、五十名は過去において適用されておりますけれども、それ以外で漏れておる人があるとするならば、これは援護法の適用になる。ところが、一般国民の中には、そういうことを全然知らない人もあろう。だから、あらゆる機会を通じまして――これだけではございません。ほかの条件で漏れておる人もあろうかとは思いますけれども、この問題については十分徹底をして、漏れておるような人のないように今後やっていきたい、こういうことでございますね。
実本政府委員 お示しのとおりでございます。先ほど先生のおことばにもありましたように、こういう人たち並びにその御遺族の人は、何といいますか、外へ出たくないというようなグループですから、特にそういう面についてはそういう観点から、遠慮しないで出ていらっしゃいというような導き方といいますか、引き出し方をするように指導してまいりたいと思います。

71 - 衆 - 法務委員会 - 37号 昭和48年06月27日

赤松委員  まず第一にお尋ねしたいのは、例の関東大震災の際に六千人にのぼる朝鮮人が一部の扇動者の手によってたいへんな迫害を受けて、中には虐殺された者もあります。これはあなたも十分御承知のところです。それからいま日弁連を中心に戦前の朝鮮人虐待の実態を調査するために日本弁護士連合会人権擁護委員長の尾崎弁護士を団長として総勢二十人の調査団が北海道を調査しております。
 この調査の過程で次第に明らかになったのが、朝鮮におきまして通りがかりの子供を拉致して、そしてこれを北海道に持っていって強制労働をやらせておったという事実、さらに朝鮮の婦女子を二百人拉致して、そうして北海道に連れてまいりまして、強制的に慰安婦、つまり売春婦として遊郭の一角に閉じ込めて、そしてこれを虐待しておったというような事実、数えあげれば、ここに資料がたくさんございますけれども、やがて私はこの法務委員会におきましてこの事実を明らかにしまして、そして今後の対朝鮮外交政策の一つの資料にしたいと思っておるのでありますが、これらの戦前の、民主主義の観点からいえば人権じゅうりん、外交的に言えばこれは侵略行為です。こういうことについて国務大臣田中伊三次としてどのようにお考えになっておるか、この際あなたの政治的見解をお尋ねしたい。
田中(伊)国務大臣 具体的な事案に関する意見でありますと、私の所管以外は答えができないということになるわけでございますが、先生のおことばは一般論としてお聞きをいただいておるわけであります。北海道にそういう資料がどうもありそうに私も思う。それから戦前のわが国の反民主主義的な暗い時代、この暗き時代におきましては、先生のお説のごときまことに、陰湿な、見ようによりましては残酷きわまるやり方が徐々に行なわれておったのではないかと存じます。そういう資料がやがてだんだんと出てくることと存じますが、こういう資料の背景というものを将来の朝鮮対策の政策の上に生かしてまいりたい、反省とおわびの気持ちを十分に腹に入れまして、そして対朝鮮政策というものに外交政策もこれを移していくべきものである、こう考えるのでございます。単にそれが外交政策にとどまらず、朝鮮関係の人々が日本に入国するという段階に入りますと、日本の重要な内政問題にもなるわけでございます。そういう内治、外交の対朝鮮の政策の上には十分反省の資料として過去の暗き時代のできごとというものを生かしていきたい、こういう心持ちでございます。

71 - 衆 - 法務委員会 - 40号 昭和48年07月04日

赤松委員(元日本社会党副委員長にして赤松広隆の父親) 外務大臣にこの際お尋ねしますが、日本が植民地政策をとって36年間、これは朝鮮に対する植民地政策。そして単に国内において朝鮮人を虐待したばかりでなしに、朝鮮半島におけるところの全土にわたってたいへんな侵略行為、なかんずく野蛮な虐殺、虐待その他を繰り返してきた。戦争中日本及び南方地域に強制連行された朝鮮人の数は150万人にのぼっています。それから炭鉱、鉱山、飛行場、軍需工場、ダム、道路、鉄道、港湾の建設工事現場で想像に絶する虐待を受けている。日弁連の人権擁護の尾崎委員長を団長とします20人の調査団が、まず当時九州、北海道に一番多く強制連行されて虐待を受けた事実を目下調査している。調査の中で次第に証言その他によって明らかになってまいったのは、まず朝鮮において人狩りをやった。
 ある朝鮮の人がこう述べておる。昭和14年8月、少年のときでした。お盆でいとこの家へ遊びに行こうと夜道を一人で歩いていたら、うしろからトラックが来てとまった。日本人と通訳がおりてきて、乗れと押し込められた。途中寝るときも見張りがいてとても逃げられない。貨物船の船底に詰め込まれて、着いたら函館だった。こういうようにして人狩りがどんどん行なわれて、いま申し上げましたように150万人の人が南方地域もしくは日本の国内に送られた。親と子を引き裂かれ、きょうだいの仲を引き裂かれて強制的に日本に連行されておる。これは国家総動員法が制定された翌年の昭和14年10月ごろからいよいよ本格化してまいりました。その中の一つをいま私が指摘したのでありますけれども、北海道においてはタコ部屋に詰め込んで、そうして大豆かすや南京豆をまぜためし、大根の葉っぱに塩をつけただけのつけもの、線切り、こういうものを食べさせて十二時間の過酷な労働をやらしておる。
 それからある証言、これは丸瀬布の町会議員の証言でありますけれども、子供のころ紋別市の近くに住んでいて、学校の行き帰りによく見たのだが、飯場には約100人の朝鮮人が収容されておった。表に20頭、裏に4頭のシェパードが放し飼いにされて、そして逃げるとそのシェパードがかみ殺す。そこで逃げられない。こういう監視の中で強制労働が続いた。雇用関係が非常に複雑で、直接企業に雇われた人は信用部屋といわれる比較的自由な飯場に入ることができるけれども、そして賃金、休みをもらうことができたけれども、下請の組の手で連れてこられた人の多くはいわゆるタコ部屋、これは監獄部屋といわれておりますが、この飯場に入れられていた。窓には鉄格子が入って入口には錠がかけられ、作業中はもちろん、夜寝るときも棒がしらといわれる日本人監督が見張っている。そして重労働をしいている。たまたまここで洪水が出たときもとうとう錠ははずされず、そのまま200人の人が押し流されて死んでいる。それから鉄棒を持ってその監督が、鉄棒というよりもストーブの火かき棒ですね、あれを常に焼いておいて、そして逃げようとするとそれでぶんなぐる、背中を焼く、あるいは監督に反抗すればそういうような残虐な行為をやるというようなことが続々と明らかになってまいりました。また朝鮮で狩り出された200人の婦女子が函館の遊郭に、日本の炭坑夫の慰安婦として無理に売春を強要される。幾人かの婦女子が投身自殺を遂げておるというような事実が続々とあらわれておる。日本政府の一貫した政策は、朝鮮及び中国に対する侵略政策、その侵略もきわめて野蛮にしてかつ非人間的な、人道上許すことのできない数々の蛮行を重ねてきた。私は軍隊には行っておりませんけれども戦争中戦争反対のために刑務所に閉じ込められておりました。そのときに、大陸の陸軍監獄から送られてまいります多くの受刑者の口から、数々のその蛮行を聞きました。また当時朝鮮人の諸君が国内において警察の中でどんなにきびしい拷問を受けておったかということを、私はまのあたりに見てきた。そして終戦を迎えたわけです。憲法は変わりました。しかし、いま申し上げたように国士舘大学の偏向教育に見られるような、それがずっと一貫して続いているわけです。いま文部省のほうは、これは指導には限界があるので、なんていうようなことを言っております。そして憲法違反あるいは教育基本法に反する数々の行為をやっている学校を見のがすばかりでなしに、この学校には田中角榮総理も、それから石井光次郎さんも、石原慎太郎賀屋興宣というような諸君が、みな関係しているのです。したがって、自民党はこの植民地政策を過去一貫して戦後貫いてきておる。これがいまの朝鮮政策になってあらわれているのだ、こういうように一般世間は受け取っておる。私もそう考えておる。私は、自民党が近代政党に脱皮するためには、こういうような民族差別的な偏向教育をする、あるいは憲法違反もしくは教育基本法に反するような教育方針をとっておる学校に関係するということが許されないばかりでなしに、こういう学校の体質を徹底的に改善して民主化し、近代化する任務があると思うんです。そういうことをやらないから選挙をやるたびに負けていくという結果になるわけです。こういうことは、大平さん、あなたは次期総裁といわれているんだが、十分に考えてもらわないと、ただ単なる、一片のけんかだというふうに見のがしてはいけないと思うんです。そこであなたは、これら半世紀にわたって一貫して日本が野蛮なる侵略行為を続けてきた、朝鮮人を虐待する、許すべからざる人道上の罪を犯してきた、これについてあなたはどう考えていますか。田中総理は中国であやまった。あなたはどうお考えになりますか。
大平国務大臣 戦前わが国のおかしたあやまちにつきましての御指摘でございまして、お返しすることばもございません。私どもは、深い反省の上に立ちまして、戦後新しい民主的な日本を国の内外にわたりまして実践してまいって、国の内外にわたりまして理解と信頼をかちえる国にならなければならぬと考えておるわけでございまして、今日私どもがとっておりまする外交政策は厘毫も人種差別という色彩を持っていないと私は確信しておるわけでございます。過去のつめあとというものをひしひし身に感じるだけに、より深い反省をもちまして戦後の経営に当たらなければならぬと考え、そのように微力ながらつとめておる次第でございます。
 いま国士舘大学の具体的の事件についてお尋ねでございますが、本件につきましては、しかるべき筋が事実を御究明いただいておると思うのでありまして、私どもが受けておりまする御通報によりますと、これがいわゆる人種差別という思想に根ざしたものであるというようなことは、そういう御報告はございませんのでございまして、両者の間にありました遺恨といいますか、しこりといいますか、そういうものが集団的な形をとって出てきたものであると、たいへん残念な、不幸な事件でございますけれども、赤松先生おっしゃるように、これが人種差別思想に根ざしたものであるというようには私はお聞き取りしていないのでございます。それから、これとわが国の教育政策との関係でございますが、それは、私がお答えすべきことではなくて、文部大臣のほうの仕事であろうと思います。
赤松委員 あなたの都合で質問の順序が変更されたために、いままで私が申し上げた国士舘大学の事件の背景というものをあなたは聞いてないから無理からぬと思うのでありますけれども、報告を受けたがそういう偏向教育の結果ではないというふうに考えているという話だが、報告した連中の頭が狂っているんですよ。その連中が正しくものごとを見ようとしない。先ほど私は弁護士会人権擁護委員会の報告をここで読み上げて、そして弁護士会もそういうような見解を持っているということを言いました。これを繰り返して申し上げようとは思いませんけれども、先ほどここで指摘したのですが、この委員会で問題になったのが昭和四十一年だ。その四十一年から今日まで、そのときは国士舘大学の舘長代理が来て、体質を改善します、こういう暴力事件は発生しないようにしますといってから、四十一年から計五百六十回暴行事件が起きている。五百六十回ですよ。そして昨年だけでも三十六回、朝鮮の高校生が襲われた。ことしだけでも二十六回。そして朝鮮高校生狩りというように公然と武装してこれを襲撃していた。その事実を申し上げたのだが、外務大臣にこれを言っても私もしょうがないと思うが、しかし認識は、事件の背景というものは、あなたも自民党の近代化、保守政党の近代化ということを主張しておる一人ですが、単に官僚の報告を聞くだけでなしに、大平さん自身の近代的な洞察力でその背景というものをしっかり見きわめてもらわなければいかぬと思う。ここで私はあなたとこの問題で議論しようとは思いませんから、あなたがお帰りになったあとで、さらに警察当局、文部当局に対して質問を続けます。
 そこで、いま反省しているというお話ですが、反省しているということは、よその国を侵略してそしてよその国の民族を虐待してまことに申しわけなかったとおわびする、こういう意味ですか。
大平国務大臣 わが国が戦前行ないました行動につきまして、わが国の利益のために他国を犠牲にする、あるいは他国にたいへん御迷惑をかけるというようなかどがありましたことはたいへん残念なことでございまして、民族の間におきましては、相互の理解と相互の尊敬が基本にならなければ正しい関係はあらゆる分野において打ち立てることは困難だと思うのでありまして、戦後はそういうことのないように私どもは細心、周到な配慮を加えてきておるということを申し上げたのでございます。
赤松委員 私はいまいろいろな事件を列挙して、そうして日本の野蛮なる侵略行為の事実を明らかにしました。あなたの話を聞くと、御迷惑をかけて残念でした。一体、人を殺しておいて御迷惑をかけて残念でしたということで済みますか。そんなばかな答弁がありますか。百五十万、二百万人に及ぶ、何も関係のない他民族の領土を侵略して、しかもたくさんの人を殺して、それで御迷惑をかけました、残念でした。残念でしたというのは他人事じゃありませんか。あなた、身をもってこれらの民族に対しておわびをするのがほんとうじゃないですか。そこから対朝鮮対策というものが生まれてくるのです。その反省が足りないから、なお今日敵視政策をとっているんだ。重ねて、あなたは、殺しておいて単に御迷惑をかけて申しわけありません、残念でしたということで済むと思いますか。もっとはっきり言ってください。
大平国務大臣 政府といたしましてはあらゆる機会に遺憾の意を表し、暗い過去のあやまちにつきましては深い反省を吐露いたしておりますばかりでなく、その反省の上に立って、新しい民主主義にのっとって国内外の政策を進めてまいっております、そういう意味で御了解をいただきたいと申し上げておるわけでございます。