ほぼ足りてまだ欲 その先

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雪隠詰め

 私が将棋のことをわかるはずもなく。前にも書いたかもしれないけれど、私、人助けをしたことがありましてね。何しろ、その後本人から「あなたは私の命を救ってくれた!」といってもらえたんですから、間違いはありませんよ。
 それはもう20年近く前のことでしてね、おそらく1996年頃のことでしょう。当時私はシドニー近郊の街に一時的住民として住んでいたんです。鄙びた郊外の街で、それはそれは静かなものです。週末に近所のうちでBBQがあったり、芝刈りの騒音以外は。
 近所に自治体が作ったゴルフ場が2-3ありましてね。一番近いところはそれこそ歩いて10分ですよ。近所の中国系の人なんて、トロリーを引いて靴をガチャガチャさせて(当時はまだスパイクです)歩いて行っていたというくらいに近いんです。
 その日はもうちょっとましな、つまりちゃんと距離の長い、車で20分ほどかかるところへ行きました。今ではレイアウトも変わってしまっていますが、当時はINの途中でクラブハウス近くのトイレの下にあるグリーンへ帰ってくるというホールがありました。そこへやってくると、トイレの方から「ガチャン」とガラスが割れる音がするんです。何事ならんと近づいてみると中からか細い声が「ヘ〜ルプッ!HE〜LPっ!」と!すわ、一大事と駆け寄るとトイレの箱の中から女性の声!「待って頂戴、後ろに下がって頂戴!」と声をかけ扉を思いっきり押すと、開いて中からお婆さんが飛び出す!私の顔を見て、一瞬ひるんだお婆さんがさっきの台詞を吐いた、というわけです。ただ単に外に開く扉を彼女が無理に内側に引いたので詰まってしまっていたんです。
 ここで彼女が一瞬ひるんだところに意味があります。オージーの婆さんはまさかアジア人に助けられるとは思っていなかった、という雰囲気です。それもどうやら日本人です。
 いや、それはあんたの決めつけでしょ?そんな状況でそんなことを疑うなんて、と日本人は思いがちでございますよ。しかし、それは充分に考えられることでございます。あのおばあさん、20年前当時に70歳くらいでしたから、終戦時20歳くらいですよ。充分にあの戦争のことを記憶している世代でございます。なんたって、隣に住んでいたArthurはPNGで日本軍と戦った経験を持っていましたから。豪州は日本から空襲もされていますし、シンガポールから多くの英国連邦軍将兵が捕虜として虐待され、多くがガリガリになって命を失っております。
 そんな日本人に助けられたんですから、あのお婆さんとしては複雑でございますよ。多分助けたのが白人の青年だったら、彼女は間違いなくハグをして、終いには週末のBBQに招待したに違いありません。それがジャップ野郎の中年ちび男に助けられちゃったわけですから、胸中複雑なところがあります。
 実はcityのビジネス街を歩いていて、向かいから来た杖をついたお爺さんに呼び止められたことがあります。「失礼だけれど、日本人かね?」と。左様ですと応えると、産まれ年を聴かれました。戦後の生まれだとわかるとお爺さんは「それではご存じないでしょうねぇ、われわれは戦争をしていたんです」といってました。もちろん私は知っていますよ。
 足を踏んだ人は忘れていますが、踏まれた人はいつまでも覚えていますよ。