ほぼ足りてまだ欲 その先

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散歩

 二週間に一度の新宿、保阪正康レクチャーの日。前回から聴講者の数がどっと増えていて、かつてに比べると1.3倍くらいの人数になっている様な気がする。それも保阪がNHKラジオ深夜便に月に一度出て語る様になってからではないだろうか。
 今日の話は特攻隊についてだった。保阪正康講談社現代新書で特攻を取り上げている。

「特攻」と日本人 (講談社現代新書)

「特攻」と日本人 (講談社現代新書)

 まぁ、当然のことだけれど、特攻という攻撃形態を「国のため散華した」とだけ捉えるのは間違っている。そこに導いた軍の上層部がいったい何を考えてこの作戦を実行したのか、そしてこの作戦はその後公に検証されただろうかと考えると、あの70年前に終わったと思っている、そういうことになっているものは、ひょっとするとまだ終わったとはいえないのではないだろうか。
 若い将兵が国のためを思って命を捧げてくれたから、今の国の現状があるんだ!として特攻を捉え、その遺書を讃えるだけであるのなら、それは彼らを愚弄していることになるだろう。本当のところがどんな状態であったのか、それをつまびらかにすることが彼らの死を本当に意味あることにするということではなかったか。
 この本の中でも彼は取り上げているが、第五十六振武隊の上原良司大尉に保阪は戦後、取材したのだそうだ。妹の話では上原は「自由主義を抑圧する体制は必ず崩壊する」といっておったそうだ。
 1943年8月、陸軍教育総監部が「皇軍史」というものを編む。国立国会図書館のデジタルコレクションで読むことができる。「下級将校のため日常軍隊教育の参考として配布す」と書かれている。そもそもわが皇軍神武天皇の軍隊たる神軍を起点とする軍隊である。つまり行軍は神の軍隊である。つまり、われわれは人間なのではなくて、忠義、忠君のために存在しているのである。そう理解させようとしてきたのであり、そう理解しなくてはならなかったのである。
 河出書房が1938年に創刊した雑誌「知性」は戦後、加藤周一の編集で6000人アンケートを実施したのだそうだ。戦前天皇を神だと思っていたと回答したのはおおよそ7-8割りにのぼったというが、そのまた7-8割りは戦後天皇は人間だと認識していると回答したというが、まさか本気でそう信じていたわけじゃない、それは周囲の耳目があるからそれを否定するなんてことをしたら、どんなことが起きるか、明白だったからそういうことにしていたといわれたら、誰しも納得するだろう。
 彼の話を聞いているとものの見事にわかる。
 できるだけ歩かなくちゃというので、山手線で新橋へ出ようかなぁと思ったら新宿から200円する。じゃ、丸の内線と銀座線を乗り継いで新橋までだったらいくらかと思うとやっぱり200円する。じゃ、ひとつ前の虎ノ門で降りて、歩けば良いじゃん!というので虎ノ門で降りる。随分久しぶりに降りたのだけれど、後ろも見ずに南へ向かって歩いたので、北の方の様変わり具合が目に入らなかった。ダイビルとみずほの間を東電に向かって歩くと、東電の前には今でも、まだ、機動隊の車が2台止まっている。一体、なんの理由で彼らは東電を守り続けているんだろうか。守って欲しいのはこっちだぜ。
 立ち食い蕎麦屋の「かめや銀座店」で冷やしまかない蕎麦を食べる。550円也。爺さんは今日も顔なじみには愛想は良いけれど、そうでない客には愛想が悪い。そういう点では三州屋銀座一丁目店の婆さんとまったく一緒だ。まだ午後1時にもならないのに、客が3人しか入っていなくて、これでやっていけてんの?
 教文館の二階に上がったら小沢昭一の「小沢昭一的こころ」の台本を書いていた三田完の本を見つけた。買う気はなかったのだけれど、冒頭を立ち読みしたら、小沢昭一の通夜の始まる前に永六輔矢崎泰久が来て、矢崎が煙草に火を付けてお供えしたというところを読んで、ふらふらっと買ってしまった。やられた感強し。
あしたのこころだ 小沢昭一的風景を巡る

あしたのこころだ 小沢昭一的風景を巡る

 8,029歩。