いい加減、自分たちの立場を真剣になって見極めておかないと、とんでもない事になりそうだ。日本のニュースを聞いていると、中国経済が悪化しつつある事を警戒の目をもって見つつも、そのニュアンスの中に「ほうらみろ」とか「やっぱりな」とか、はたまた「ざまぁみろ」の感覚が混ざっているような気がする。
自分たちが追い落とされつつある状況を真正面から捉えておかないと、つまり、いつまでも、あの栄光をもう一度とか思っていると、どんどん深みにはまる。どんどん沼地に石を放り込んでいくような気がする。いつかは沼を埋め立てる事ができてまた確固たる足場を踏みしめる事ができると希望してしまう。
もう無理なんだって。自覚しよう。次に来るのがどんな社会なのかを想定して暮らそう。つまり、私は悲観論者なんですな。そんなの俺の知ったこっちゃねぇよ、アハハン、といっていれば良いようなもんだけれど、どうせもうあと何年も生きやしねぇんだからね、だけれども、見捨てていれば良いってことじゃないだろうと。
多分安倍晋三はあとは俺は知らないよと思っている。いつまでも私がやっているわけじゃないって、国会でいっているし。