ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

あの頃

 1982年から1986年にかけて、私は企業広報の仕事をやっていた事がある。当時働いていた会社は大きく分けて三部門があってそのうち最も大きな部門が年間売り上げの約8割、残り二部門が2割の売り上げを計上していた。だからというか、三人いた担当者のうち、私はひとりで残りの二部門の担当をしていた。それは自分がその両方の部門をそれまでに経験していたという事もあるのだけれど、外部の興味もおおよそそれ位の割合だった。それにしても、こっちの二部門は商品の数が多い。関連するお偉いさんも多い。まったく要領のわからない部門だったから、それはもう必死だった。
 しかしそのうちに、これはひょっとすると会社の中を知るとても良いチャンスだと想い出したから、取りあえず可能な限り時間を費やした。結果、夜は必ずフロアーの最後まで残っていた。休日も出てきた。残業がもうつかない立場になっていたからキリがない。それでも情報の取捨選択ができなかった。関係する部門ごとに活字媒体を仕分けてはファイルしていた。まだパソコンが出始めたばかりで、ほとんどアナログ処理だったからとても手間が掛かった。
 私のあとの担当者が部門ごと、商品ごとに歴史をたどることができるようにしておかなくてはと思っていた。アウトプットもさることながら、データーベース作りが欠かせないんだと自分で感じていたからだ。
 あの会社ではマーケッティングの思想が現場任せになっていたから、時の部門長の考え方で大きく変わっていた。マスコミ、業界紙連中と付き合って、一体何になるんだ、ただ情報を持って行かれちゃうだけじゃないか、といっていた人が半分くらいいましたかねぇ。パブリシティーという概念がまだまだわかられない時代でしたからねぇ。
 あれで上司があれほど優れた人でなかったらすぐにめげていたでしょうねぇ。上司が常にしっかりとバックアップしてくれていました。今でも尊敬しています。