ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

どちらが良いか

 これまでの日本では多くの人たちが会社に就業して、その会社に定年まで勤めることにほぼなっていたので、なんでもこなす人たちが多かったので、ジェネラリストと呼ばれたりしていた。まぁ、実際には専門家でもなかったから、いってみれば「見よう見まね専門家もどき」みたいなものだ。その最たるものが新聞記者で、専門紙ではない、全国紙、あるいは地方紙なんかだと担当する部門が結構変わる。経済部なんぞにいこうものなら、昨日までは重工業担当だと思ったら、今度は薬品業界担当になったりして、それでも業界に精通しなくちゃ質問ひとつも出来ないわけで、大変らしい。
 会社の中で高給を得、ステイタスをあげていくには、何かを犠牲に会社に命を捧げちゃったりしていたわけで、これがまた意外に功を奏するものだから、家族を犠牲にしちゃったりすることが間々あったわけだ。親戚に不幸があったので、なんて時に、どうしても会社を休めなかったりして、「さすがだ!」なんて風潮だったしねぇ。「この会社に骨を埋める気」なんて言葉が平気で出てきちゃったりして。そういう風潮が「貢献」と評されていた訳よ。
 ところが、世界の中にははるかにかけ離れた社会も平気にあるわけだ。年間6週間の有給休暇が極く平然とあって、病気になったら病気有給休暇なんてのもあり、定時に会社から上がるのは当たり前で、とにかく家族あっての生活の一部が会社勤めだったりする。そんなに収入は高くなくたって、病気に備えなくても医療補助はあるし、なんかのために金を貯めるという必要がない。
 これだけ条件が異なれば、生活感覚も物事の重要性も全然違う。日本はどうだろう。後者でないことは全く明らかだ。じゃ、前者かといったら随分変わってきた。なんせ、会社に定年まで雇用される保障なんてもう全くといって良いほどなくなってきた。しかし、社会保障制度はどんどん解体の一途を辿っている。生活の保障なんてどこにもない。もうどっちでもない。ここから先この国はいったいどうなるんだろうか。