ほぼ足りてまだ欲 その先

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讀賣が犯人捜し

 私はかつて企業の広報担当をしていたことがあるけれど、それまで公表されていない企業活動について新聞に抜かれた時に、常に担当部署にまず最初に話したことは、抜かれてしまった事実を認めていくために何を準備しなくてはならないことなのかを明確にして、関係者で確認しあうように、ということだった。
 しかし、往々にして、犯人捜しに終始するのが関係者の気持ちのようだ。私の立場は彼らの犯人捜しに同調していたのでは次の準備が進まないから与しないで行動をしようとするのだけれど、概ね身内でないと見なされている広報担当には事実が知らされることは少ないという企業体質だったといっても良いかも知れない。犯人捜しの挙げ句の果てに、その犯人が担当部署の長だった、という笑うに笑えないことも何度かあった。それはなにゆえ起こるのかというと、パブリシティーという作業の意義を現場部署が真剣に考えることもないし、それを啓蒙するという動きを起こしても殆どの人は聴く耳を持たない、というところに起因していた。
 先日、朝日新聞が一面を使って讀賣巨人軍が選手との契約に際して、プロ野球リーグで協定している金額以上のものを提示してきたと指摘した。多分多くの人たちは巨人がこうしたことをしてきたことを知りながら記事にすることができずにいたのだろう。それにしてもスポーツ新聞ではないのだから、一面を使って記事にする方もどうかとは思う。しかし、これまで江川事件もさることながら、ヴェルディーとJリーグとの画策確執なんぞもあって、とかく読売はスポーツに関しては非常に傲慢な態度をごり押ししてきている印象は拭えない。多分多くの人たちは「あいつらならやりかねない」と思っていることだろう。
 読売が新聞紙面を使って今やっているのは何かというと、一体朝日はどんな人からどんな証拠を入手してあの記事を書いたのかという、いわば「犯人捜し」に躍起になっているかのように見える。ネット上で読んでいるからよくわからないけれど「犯人捜し」以外にこの事実について証拠を出して反論しているようには読めていない。なんだか、紺屋の白袴みたいな様相を呈している。これは何を意味するかというと、読売という新聞媒体がどれほどのジャーナリズムによって成り立っているのかということにもなるのではないだろうか。
 それはなにかといったら「てんで話にならないくらいに低レベルである」ということだ。
 挙げ句に報道各社に対してナベツネに取材するなと申し入れたというのだから、何をトチ狂っているのかとお笑いである。毎日新聞もこの記事の終わりに「爆!」とか「www」とか、つければいいのにね。

 プロ野球巨人の契約金超過問題で、読売新聞東京本社広報部とプロ野球巨人は17日、渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長への危険が伴う過度の取材を控えるよう、報道各社に文書で申し入れた。
 巨人の球団会長を兼務する渡辺会長は16日夜、東京都内のホテルでの会食後に報道陣の前に姿を現した。車に乗り込むまでの間、多数の記者とカメラマンらに取り囲まれ「それ以上やると人権侵害になるよ」と不快感を示した。
 申し入れ文書は「渡辺自身も過熱する一方の取材に、身の危険を感じております。取材を制限するつもりは毛頭ありませんが、度を過ぎた取材は看過できません。節度と良識ある取材を行うよう、強く申し入れます」としている。(共同)毎日新聞 2012年3月17日22時00分) → こちら