ほぼ足りてまだ欲 その先

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昔の豪州

 20年ほど前の豪州は移民大歓迎でした。多分今でもそうでしょうか。当時はポイント制になっていて、年齢だと30歳前が勿論最高ポイント、持っている職業的技術でポイントがあり、最終学歴でもポイントがあったような気がします。そして語学力は英国大使館で受験することができる英国の外国人向け英語の試験のポイントがありました。
 日本人でいったら30歳前後で日本食の職人さんだったらほとんど大丈夫だったような気がします。
 しかし、50代以降の人にはほとんど不可で、当時唯一可能性があったのは退職者ビザで、一定の金額の金を持ち込めば4年間は居住できるというもので、大手商社を退職した人が何人か、お知り合いの中で定住している人たちがいたくらいでしたでしょうか。
 なにしろ語学力的にお荷物にならなくて、病気を背負い込む可能性が低くて、非熟練労働者ではなくて、といった受け入れる移民を選択していたわけです。
 ところがそのころからどんどん船で密入国してくる人たちが増えて、中央政府はかなり苦慮していました。周辺のクリスマス・アイランドなんかに収容したりして他国の人権団体なんかからクレームされていました。
 金を持ってくるといったら、当時もまだ日本は金持ち国のひとつでしたから、北部の観光地なんかでは日系の観光業者が大活躍していましたけれど、今は多分南シナ海で暴力的に支配を宣言しているあの国の資本に買われているんじゃないでしょうか。検証しに行く気はサラサラありませんけれど。
 あんな大きな国のくせに人口はいまでもわずかに2400万人ですから、いくら取り込んでも良さそうなものですが、なにしろ街となって暮らしていけそうなのはあの大陸の周辺部だけですし、くらしやすいといったら各州の州都くらいのものです。
 だから今では都会から離れた場所に暮らすというのであれば入りやすくなるときいていますが、それってどうやってコントロールするんでしょうね。
 当時、やってきたばかりの人たちが仕事を得ることができなくて、生活保護を申請するのも結構簡単だった時期があります。下手をすると一家で誰も働いていないけれど、生活保護で暮らしているというケースが見受けられたりしてかなり問題にされました。
 Sydneyでは古いけれど場所は最高というような市営の住宅がほとんどこんな人たちで満たされていたことがあります。
 労働党政権から保守党政権に移るやいなや政策は一変。若者の移民で仕事についていない人たちは政府が斡旋する仕事に一定期間つかないと保護を申請できないというものになりました。つまり仕事はやるからそれをやれと。勿論非熟練仕事がほとんどです。それはそれなりに機能していたような印象でした。
 若者の中には定職を持っている女性と暮らしながら生活保護を受けているなんていう奴が一定数いて、驚いた記憶があります。