ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

狡猾

 日本という国が持っていた植民地は三つありましたね。一つは勿論朝鮮半島。もうひとつは委託統治ということになっていた台湾や南太平洋の諸島。最後は独立国家だということになっていた満州ってことです。
 満州は実質的には占領しちゃって、移民をどんどん送り込んで日本化しようとしていたわけですから、ソ連北方領土だと日本がいっている四島やサハリンにロシア人をどんどん移民させている、あるいは中国がチベットやウィグルにどんどん漢民族を移民させているのとあんまりかわらん構図です。
 台湾は総督府があったわけですから、まぁ、実質植民地のようなものですね。今に比べたら当時の砂糖産業は重要度が高かったこともあるんでしょうか。
 朝鮮半島は完全なる植民地だったわけで、どんどん農産物を半ば強制的に徴発していっちゃったみたいです。現地住民の食糧事情がどんどん悪化していったようです。
 戦争が進むと内地の労働力はどんどん足りなくなりました。なんたって女子どもまで奉仕だといって労働させたわけです。強制的な奉仕ですから、これを奉仕というかどうかというのは微妙です。ただし、少年少女は「一億人民火の玉」だし、「七生報国」ですから、まさに意識の上では「奉仕」です。
 そうかといって重工業の現場では危なくてしょうがない。となると朝鮮半島から労働者をつのりました。募るというのは言葉の上だけですが、とにかく行けば仕事になって金になるらしいと思えば行きますね。
 鉱山や重工業の現場にはそれこそ総動員でした。朝鮮半島から来た労働者、刑務所に投獄されていた囚人、南方の収容所からはるばる連れてこられた連合軍の将兵だった捕虜。
 体験者のその後の記録は探そうと思ったらいくらでも出てきます。米国の古本屋をグルッと回ると日本軍による戦時捕虜文学とでもいうようなジャンルができてしまいます。
 しかし、日本ではこの辺の記録をほじくろうとするとすぐに「反日」のラベルを貼られてしまいます。ネット上にこれをアップすると直ぐさま、いわゆるネットウヨという方々があぁでもないこうでもないと罵詈雑言。
 歴史は歴史として客観的事実を残していく必要があります。それがなかなかできないというのがこの国の現状だといって良いかもしれません。大型書店(といっても今やどんどん少なくなりつつあります)の「近現代史」ブロックを一度ご覧になるとおわかりだと思いますが、本当の日本はこうだ!というような切り口でのエクスキューズ本が氾濫しています。ルーズベルトは日本の真珠湾攻撃を知っていた!本は好かれていますね。つまり、日本を陥れるために知っていたのに黙って奇襲をやらせていたというのですが、いずれにしろその時点では既にあっちもこっちも侵略していたのですから、理由にも何にもなりませんけれど。
 アメリカ西海岸に暮らしていた日本人・日系人を1942年2月に米国政府は隔離政策をとりました。強制的に収容しました。日本人・日系人が持っていた資産はほとんど二束三文で売り払わざるを得ず、戦後日本人・日系人社会は疲弊しました。強制的に日本へ帰国させられた人たちもいます。
 その後アメリカ政府は間違った政策だったとして、謝罪し、賠償しました。つまり、その時点でこの事件には決着がついたことになります。それでも、日系人社会はそれで終わりではありません。ロス・エンジェリスに全米日系人博物館があり、当時の隔離キャンプには記念碑を残し、今でも現地でセレモニーを行い、ライフ・ヒストリーを残し、他民族に対してのレイシズムに反対声明を出し続けています。
 それでも米国社会は「いい加減にしろ!いつまでいってんだ!」とはいいません。そんな記念碑をぶっつぶせともいいません。ワシントンにある記念碑を壊せともいいません。もっとも通りかかった警官にどこにあるか知っている?と聞いても知りませんでしたけれど。