今年もレンタカーを借りて山梨へ墓参りに来ました。ところが、着いたら空が急に黒くなってきて、遠くにゴロゴロが聞こえてきてしまった!早々とお参りを済ませ、お線香を1束お供え。主たる墓石を磨く。古い石を磨いたらなくなりそう。
そそくさと来年また来ますと約して動き出すと雨がやってきた。その雨が生半可の雨でない。バチバチと音を立ててフロントグラスに叩きつける。そこからはもうどんどんバンバン、対向車はバシャァァとはねあげる!1日豪雨だった。
160823
午前10時10分、出発
今年もレンタカーはSUZUKIのSWIFTだった。
日本のレンタカーには前から不満があって、クラスを選んでも車種が選べない。この車がダメだというのではないけれど、選択肢がない。私がこれまで経験した海外のレンタカーというのは左側通行の豪州しかないけれど、あそこでは車種選択ができる。しかし、現場に行くと必ずしもそれが実現できるわけでない。彼らは平気でこの車種で受けたけれど、今はここにない。だから、これじゃダメか、あれじゃダメか、ちょっと高くなるけれど、と平気で言う。契約は契約だと突っ張ると上のクラスの車をそのままの価格で貸すと向こうが必ず折れる。そういう点では日本の業者の方が公正だと言えるのだろうけれど、つまらない。
もう一つは保険だ。日本ではオールインクルードだといっても、修理が必要なダメージが起きると、休業補償の費用を払えという。豪州ではオールインクルードだといったらそれまでも全てカバーする。これは安心感が全く違う。
なにしろ年に一度、この時期にしか車に乗ることがない。そうすると車がどんどん進化している。多分車に詳しい人ならなんということはないのだろうけれど、驚く。数年前から借りる車に鍵がない。ブレーキを踏んでボタンを押すだけでエンジンがかかる。これを初めてみたときは驚いた。
レンタカーにはナビが当たり前についている。これが使いこなせない。そういえば随分昔に北海道で安いレンタカーをしたらとても古いナビが付いていて、気がついたらナビの上では道路のないところを走っていて、びっくりしたことがある。
お墓に到着するまでは結構順調だった。高速を降りる前にお腹が減って、グゥ〜が三度なったら昼にしようということで釈迦堂のSAで塩味スープの鶏そばを食った。大きなサービスエリアは綺麗なフードコートなんかになっているのだけれど、むちゃくちゃ混んでいて席が見つからない。
お墓に到着してみると空は一転にわかにかき曇ってきている上に遠雷が騒いでいる。妙な風がふいている。そそくさとお参りを済まし、「また来年来られると良いんだけれどねえ」と言いつつ辞する。
ここのお墓は菩提寺の本堂の裏山にあって延々と階段を上がる。それはそれはまさに修行といわんばかりの階段だ。20年前に義母の納骨に来て、まだ50歳前だったのに相当に辛かった。今では裏山の上に上がる細い山道を車で上がって、上から階段を降りる。
その裏山には町営と思しき小さな平屋の一戸建てが並んでいた。戦後すぐのものではなかっただろうか。多分台所とふた部屋くらいだろう。かつてはよく見た建物だけれど、もはや今では探してもなかなかないだろう。それが一年ごとにポツンポツンと一軒消え、また一軒消えるというふうだった。一体まだ誰かが暮らしているんだろうかと思ってよく見ると、夏の暑い日だというのに、窓が一つ開いてスダレがかかっていて人の存在を告げていた。今年は辿り着いてみると、とうとう最後の一軒になっていて、それももはや窓も開いていなかった。
当初は暮らしていたお年寄りにどこか他に移っていただいたのかと思っていたんだけれど、ひょっとしたら亡くなられるまで待って撤去してきたんじゃないだろうか。ひとつひとつの小さな住戸に一人一人が暮らす時間が染み付いてきたのではないだろうか、と思うようになった。彼らに友人はいたんだろうか。その小さなほんの十戸あったかなかったかくらいの社会は一体どんなだったのだろうかと。暮らしやすかったのか、支え合ったのか、それとも不満だらけだったのかと。私だったらどうしていただろうかと。
そんなことを考えながら高速道路を走らせていると案の定、ポツポツと来た。高速を降りて、いつものスーパーで買い物兼トイレを済ませて山道にかかると、もはやポツポツどころじゃない、ビシビシ、バシバシ、あたかも車のフロントグラスが割れるんじゃないかと思うほどに雨が叩きつける。前をいく車が霞む。対向車がまるでパワー・ボートのように水しぶきを浴びせかける。
友人の家に辿り着いてみると、こっちもまだ大雨注意報が出ているという。
夫人がウィルス性胃炎を起こしていて臥せっていた。三人でいつもの食堂へ行こうと思ったら昨日、今日は休みだという。お盆が終わって休む店が多い時期ではある。