ほぼ足りてまだ欲 その先

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日本人

 日本人だから天皇が好き、日本人なのに天皇制を批判する、といういい方がありますな。日本人はすべからく、天皇制の支持者でいなくてはいけないような。
 お、突然何をいうのか!という雰囲気になりそうな気がしますが、今度の元侍従だった小林忍の日記というのが出てきたという新聞記事を今頃になってみたわけです。約一週間遅れです。多分23日の木曜日には保阪正康がこの件について触れていたに相違ありません。惜しいことをしました。
 で、驚いたのが1987年4月に、倒れる直前、昭和天皇裕仁は「細く長く生きても仕方がない(中略)戦争責任のことをいわれる」と書いてあるんだそうだ。戦争責任のことをいわれるのがイヤだった、という感想を述べたというのです。そりゃイヤかも知れないけれど、いわれますね。云われてもしょうがない。大元帥だったんだから。そりゃもちろん突っ走ったのは大日本帝国陸軍と海軍であり、当時の日本を牛耳っていた連中だけれど、その総大将だったわけだから。そりゃ本人がそう云えといっていたわけではないけれど「天皇陛下万歳」だったわけだから。
 日本は、勝ち負けは別として、あの戦争の総括を全く行っていませんよね。「こんなことをしたのはこういう面からいって間違っていた」とか、ここで、こんな作戦をとってしまったのは全く論外であるとか、なにも公式に決着をつけていませんね。だから、裕仁君もいつまでも陰で「アイツのせいだ」といわれるのでしょうね。
 一説によると戦後裕仁君はGHQマッカーサー総司令官に退位を持ちかけたという話がございますな。本当かどうかわかりません。三笠宮なんかに譲位するという考えがあったのか、当時はまだ幼い今上天皇明仁にか知りませんが。
 靖国に祀られてしまっている、いわゆる東京裁判で有罪となって処刑された連中はわたしたち日本国民が処刑したわけではありませんね。だから、日本国民は彼らを有罪と決定したわけではないという論理があります。つまり、敵国連合によって殺されちゃったんだから、正に戦死であって、だから彼らは英霊だといっても良い、という論理なのでしょうかねぇ。
 これは明らかに間違っていますよねぇ。奴らはわが国とその国民を戦争へと引きずり込み、貴重な命と資材をまるで我が物のように動かして消耗してしまいました。しかもその結果について責任もとっちゃおらんのですよ。もっともこの国では公務員も国会議員もなにも責任をとったりしておりませんけれどね。
 昭和天皇には明らかに責任がございます。この国をあの戦争に導きました。しょうがないんだ、認めるしかなかったんだから、というのであれば、誰も彼もみんな同じです。上の命令だったんだからしょうがなかったんだ、周りがみんなピー屋に並んだんだからしょうがなかったんだ、周りがみんなバブルっていたんだからしょうがなかったんだ、ということになるわけでございましょう。