ほぼ足りてまだ欲 その先

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広瀬隆

1939~1945年の強制連行労働者は、『朝鮮人強制連行の記録』(朴慶植著、未來社)では72万人以上、『太平洋戦争下の労働者状態』(法政大学大原社会問題研究所編、東洋経済新報社)では82万人以上としているが、日本政府の計画では初期にこの朝鮮人労働者を「供出」させたとある。辞書を引いてご覧なさい。供出っていうのは、物資に使う言葉だよ。朝鮮人は、日本人によってモノ扱いされたんだ。日本のテレビ・新聞は徴用工(ちょうようこう)と呼んでいるが、徴用なんて生やさしい話ではない。

 それをやったのが、私の祖父たちの世代なのだから、賠償を拒否する日本人を私が一喝したくなる気持は分かるだろう。1910年に日本の韓国統監・寺内正毅(てらうち・まさたけ)が韓国と日韓併合条約を締結して朝鮮を植民地化し、自ら初代・朝鮮総督に就任した当日、朝鮮の首都・京城(けいじょう)=現ソウル=で写真館を経営していた私の祖父が寺内に呼ばれて、韓国併合の祝賀会を撮影した。その後、祖父は京城商工会議所議員にトップ当選しているのだ。

 幸いにも、1945年8月15日に日本が白旗を掲げて無条件降伏したので、わが祖父は無一文になって日本に帰国したが、日韓併合も強制連行も知らなかったわれわれの世代が、「私は赤ちゃんで何も知らなかったので、日本は賠償する責任はありません」なんて言ってはいけない。(広瀬隆2019.7.17 16:00週刊朝日

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