ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

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f:id:nsw2072:20191011210225j:plain:w360:left 重陽節句東京オリンピック開会式からもう55年経った。

 バス停に越境通学している中学生が6-7人、団子になってたむろって居た。「並んでいるの、いないの?」というと、中の男子のひとりが「良いですよ!」とふてくされた雰囲気でいう。どういう意味なのかと思った。「バスを待ってはいるけれど、そんなにうるさく〔実際はただ聞いただけだけど〕いうんだったら前に入れよ、好きにしろよ」と居直る雰囲気。他のお爺さんお婆さんが健気にも並んでいるのに、団子になってたむろっていることを諫めたいけれど、何といったら、かれらが納得するのか、思いつかない。彼らも多分「あ、でれでれとしていたら、痛いところ突かれたなぁ」と思っている。思っているけれど、「あ、すみません!」という素直さを出したら相手にも、周囲にも弱虫と思われると思っているのかも知れない。そういう素直さはどこで身につけることができるんだろう。これと同じ状況は米国あたりだと、普通のことで、「並んでますか?」と確認することはしょっちゅうで、聞かれた方も素直に答える。家で身につけるのか、学校で身につけるのか。全てをひっくるめた、社会が育てるのか〔主体性が見えないが〕。
 これと同じというと、異論があるかも知れないけれど、出入り口の扉の扱いを巡っても日本と米国の習慣は全く異なる。扉を押して入る、必ず後ろに繋がる人はいないかと扉を押さえたまま後ろを見る。日本でこれをやると、後から後から人に扉を押させたまますり抜けル人が連なって、いつまで経っても自分が押さえた扉を離すことができない。細かいことだけれど、周辺の他に対する気の遣い方が異なる。

 突然の話なんですが、英語のイディオムってわかりにくいですよねぇ。シドニー郊外に暮らし始めて、1ヶ月後にたまたま街で出逢った、教会の牧師が「Are you settled in ?」と聞いてくれたんだけれど、その時の私はこのイディオムがわかりませなんだ。え〜ッとどうやってこの意味を知ったのか、もう忘れちゃいましたけれど、この言葉だけは忘れない。