ほぼ足りてまだ欲 その先

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村八分

 言葉として聞くと、これは相当に怖ろしい。陰湿だ。周囲が孤立させて干し上げてしまい、いたたまれなくなる。しかし、この「八分」ってのはなんだ?十分干すんじゃないのか?鶴見俊輔が書いているのを読んでビックリした。残りの「二分」というのは、田んぼの水利からは外さないということ、そして、そして葬式の時は手伝うことだというのだ。だから、欧州の魔女裁判とは大きく異なるんだというのだ。
 そしてイギリスには選挙に負けた時に「われわれは少数派だ、だけれども大きな少数派なんだ」という意識があるという。多数派になったからといってなんでもやれる、と云うわけじゃないんだという。
 今のこの国では、選挙に勝ったら、何でもかんでもやりたい放題だ、数の論理だ、多数派が「これで良いんだ」といったらなんでも、ルールを度外視しても良いんだという風潮は実に幼稚な考え方であって、人智をないがしろにした考え方なんだというわけだ。
 多分、今の自民党公明党(維新は取るに足らないが)はこんなことを思ったことすらない。

 明治革命になって、徳川幕府に代わって、明治政府ができた。しかし、薩長土肥の明治政府を構築した連中はみな、各藩の下級武士だった。だから、政府を運営するノウハウも才覚もないから、しょうがない幕府を固めていた連中を抱えるしかやりようがなかった。と昨日お話を伺った寛永寺の大僧正が仰っていた。
 しかし、幕藩体制というのは、社会そのものが小さかったわけだから、頼りになる人間がすぐさまわかったけれど、明治になって社会がドッと拡がったら、それがわからなくなった。それが問題だったんだと柳田国男がアジア太平洋戦争に負けてから中野重治に語って共鳴を受けたと、これもまた、鶴見俊輔がいっている。

 そういえば、今日は「太平洋上において戦闘状態にいれり」となったその日で、あれから78年になった。