鶴見俊輔はハーバード大学に留学していた。戦争が始まって日本人が収容された施設の中で夜中に明かりがついているトイレで卒論を書いたという。そして日米交換船で日本に帰ってきた。当時米国に滞在していた日本人は誰もがこの戦争で日本がアメリカに勝てるわけがないと確信していただろう。
にもかかわらず、彼は船に乗って帰ってきた。逆に戸栗郁子はその交換船を乗り逃がした。
なぜあの時鶴見俊輔は帰国したのかというと、負けるのはわかっていたけれど、だからこそそっちの側にいなくてはと思ったといっている。
今、私が住んでいる区では区議会議員選挙期間中で、大きな声で名前を連呼する候補者がうちの前を通っていく。大きな声で車を転がしているのは概ね大きな政党の候補者で、つまり自民党、公明党、無所属といっている民主党系の候補者だ。そういう組織に属していない連中の声はほとんど聞こえてこない。
そもそも、そういう連中の声は公報でしか目にできない。これでわかるわけがない。だから多くの人は投票すらしない。そうなると大きな政党の候補者が概ね当選する。悪循環である。
ここの区では昨年区長がなくなった。現役区長がなくなったのはこの40年間で二人目である。で、区長選挙が行われることになった。予定されていた統一地方選挙の2ヶ月前のことだ。そんなことなら両方いっぺんに選挙にすれば良い。それだのに、自民党、公明党、共産党は同時選挙に反対した。つまり、2ヶ月自分たちの任期が短くなることに反対したのだ。なんとセルフィッシュ。
区議会議員になって何をしたいのか、それがわからない。なんだ、自分のために議員になろうってのか。この選挙は奴らの就活なのか。
弱小集団だろうと、本当にたった一人だろうと、正義を語る候補に投票したい。彼が大政党の裏工作に潰されてしまうかもしれないけれど、ハナからウハウハ区議になるとわかっている連中には決して入れたくない。そういう連中に入れれば自分の一票が生きるんだという思い違いをしたくない。落ちるかもしれないけれど正義を語る候補に入れることにした。戦争への道を一気に突っ走ろうとしている自民党と公明党には間違っても入れない。世襲の連中にも間違っても入れない。