ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

自炊本

 というわけで古い富士通のスキャナーが息を吹き返したので、古い雑誌をカットして、スキャニング。それをPDFのファイルにして、外付けのHDDに保存。それをEvernoteに移し替え、i-文庫で読めるようにする。実際の話、こうしてスキャニングしたところで、死ぬまでにこれだけの大量の雑誌記事をレビューするのかといったら、多分しない。しかし、ここまで取って置いた雑誌をそのままぽいと捨ててしまうのでは、活字に宿っている魂が無残にも葬り去られることになる。と、まぁ、ここまで考えてくると、もう普通の人間の考えではないことがわかる。
 しかし、今度はここでまた考える。外付けのHDDが壊れてしまったら、あるいは接続方法がなくなってしまって、取り出すことができなくなったらどうするのか。
 普通の生活を送っていたら、こんなに込み入ったことにはならないと思うのだけれど、なぜこんな思考の路地にはまり込んでしまったのかということなんだよな。それはひとつには、かつて様々な文献をあさりまくっていたことがあって、その時に、バックナンバーの記事にどうやら書かれているらしいんだけれど、その記事が見当たらないということがかなりあり、だったら自分が手に入れられる書籍については、自分で抱えこむしかないと思い込んだことにその発端がある。しかし、それだったら図書館を作ってしまうしかないわけだけれど、実際にそうしたのが大宅壮一だったらしい。あそこも財政難に陥っているらしく、早晩しめることになるのではないかという気がする。国立国会図書館に行けばほとんどの雑誌はバックナンバーがあるはずだけれど、敷居が高いだけじゃなくて、なかなかコピーがままならない。都立図書館も広尾に行けば見つかるのだ。それがわかっていても、捨てられなかった。もう病気である。わかっている。