ほぼ足りてまだ欲 その先

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根岸歌劇団

 鶯谷からほど近い根岸に歌劇団があったのかと、昔は大店の寮があったようなところに、そんなものがあったのか、と不思議だったが、それがかつて浅草六区にあった常磐館、金龍館、東京倶楽部など軒並みに営業していたのが根岸興業部で、これが営業していたのが、1920-1924年に存在した根岸大劇団だったという。これら劇場は片っ端から松竹の手になり、私が子どもの頃は、松竹演芸場から大宮デン助一座が土曜日の午後、「スミちゃぁ〜ン!」というデン助の声がテレビから流れた。
 今時のウィキペディアには詳細に書かれているけれど、たいしたもんだと思いを新たにしたりして。
 文化人類学者で、2013年に81歳でなくなった山口昌男著作による「エノケンと菊谷栄」で知った。
 映画監督の根岸吉太郎は、根岸興業部の三代目、根岸大歌劇団を大ヒットさせた根岸吉之助の孫に当たる。

エノケンと菊谷栄

エノケンと菊谷栄