ほぼ足りてまだ欲 その先

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九段下 神保町

 朝目が覚めると、というか、昼近くになって目が覚めると、近所のお寺のお若いご住職がFBに書き込んでおられた。この人は実に行動の素早い人で、あちこちマメに出歩くので情報となって実に有意なのだ。


それが九段下の千代田区立九段下生涯学習館でシベリア抑留を知ろうという企画が今日で最終日、というものだった。映画になった「ラーゲリより愛を込めて」の山本幡男の手書き壁新聞があると聞いたのでそれを見たくなった。映画は見ていないけれど、辺見じゅんの「収容所から来た遺書」はaudibleで途中まで聞いた。最後まで聞かなかったのは、辛くて聞けなかったのである。わたしはそういう意気地なしなのである。
 沢田精之助さんという人は日本に引き上げてきてから長さ32メートルの絵巻を描いたそうで、それのコピーが壁に面々と貼られている。手書きの文字はよく読めないので、下に全部活字にしてある。こうした展示物を工夫して作り直すのは大変な作業だろう。この方の記録は「絵巻 シベリア抑留者の想い出」として出版されている。徴兵検査から話は始まり、新兵訓練で古参兵から散々な目に遭いながら北満へ派兵され終戦後の抑留と、絵巻は続く。古参兵に殴られ、虐められ、訓練と称する暴力の犠牲になった話をわたしはほとんど松竹の映画で勉強した。映画の中の話だから面白おかしく描かれているんだと思って小学生のわたしは見ていたのだけれど、あれのほとんどは事実だったことは、こういう証言でどんどん証明される。それを懐かしい昔話のように賛美するバカが今でもいるのが腹立たしい。

 そういえば東京裁判の時に当時のソ連愛新覚羅溥儀瀬島龍三を証人として連れてきたが、瀬島龍三については保阪正康が書いた本以外に見た記憶がない。瀬島は終戦によってソ連に捕虜となった将兵を労働に使うことを承認したんだと聞いたことがあるけれど、それについて書いた人はいるんだろうか。帰還後、瀬島は伊藤忠商事に入社した筈だ。



 九段下へ行くと、当然帰路は(あ、いや行きもそうだったが)神保町に出る。靖国通りを歩き出してすぐ、古書店の外にある平置き台でスタッズ・ターケルの「人種問題」がずいぶん汚れたカバーを晒しながら刺さっているのを見た。やや!これはこれは、と手にしてみるとなんと五百円である。すぐさま買った。これは持っていない。やった、やったと喜びながら行くと矢口書店が右側にも進出していて、その外にある平置き台に無数に月刊「悲劇喜劇」のバックナンバーが並んでいる。やや、これはこれは!と見ていくと、喜劇がらみの特集がいくらでも掘れる!ウハウハいいながら掘る。なんと一冊百円である。都合7冊を買う。一冊の中からは栞がわりだったと思しき、定期券まで出てきちゃうのである。こんなハッピーな帰りの電車も珍しい。

 実は私はほとんど芝居を見ない。学生時代に唐十郎のテントや東京キッズ(だったかな?)のような芝居を観ては、安心して観ていられない不安定さがいやで、足が遠のいた。日比谷界隈での商業芝居もよほどのことがない限りは行ったことがない。ましてや劇団四季なんて、行きたくもない。しかし、喜劇、コメディの類はもちろん好きだから、井上ひさしは生前に観たかった。中山千夏が1982年2月号で菊田一夫について真摯に書いている。話の特集に書く筆致とは全然違う。
 1993年の6月号、「わが愛するコメディアン」特集で「日真名氏飛び出す」の泡手大作をやっていた高原駿雄エノケンのことを書いているのが面白い。彼はエノケンの歌は本物だと書いて、永六輔エノケン評を裏付けている。周知の事実だろうけれど私が知らなかったのは、エノケン田谷力三のバックコーラスの一員だったということかな。しばらくはこの月刊誌のバックナンバーが楽しいことだろう。