ほぼ足りてまだ欲 その先

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満州

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もうずっとシャッターが降りたままだ。

 満州という国を日本が作った訳ね。
ま、愛新覚羅溥儀を連れてきて清国の王朝だってことになっていたわけだけれど、なんで日本があんなところを傀儡国家にしたのか、ということになるわねぇ。
 ま、関東軍という日本の軍隊の派遣軍が強力に後ろ盾になって作ったわけだけれど、20万人という日本の農民を開拓団として送り込んだわけ。
無人の荒野に送り込んだんなら、当時の中国との間で協定ができてであれば、問題なかったかも知れない。
 そんなこっちゃないよね。
行ってみたら現地の農民から農地を取り上げたところだった、という人たちがいるわけよ。
開拓じゃないんだな。
農地を取り上げちゃったんだな。
そりゃ、現地の農民は恨むよ。
ソ連との国境地域にまで開拓民は入っていったよね。
それも終戦の年の1945年になってからも入っていった。
割り当てられてしょうがなく開拓に加わった人たちすらいた。
しかし、総じて、貧しかった日本の農村から次・三男家族がはじき出されて渡った人たちが多い。
少年開拓団なんてのもあったんだ。

9月8日になってからソ連が一斉に入ってきたね。
スターリン英米に、ドイツが降参したらその三ヶ月後には攻め込むと言っていたという情報が欧州から参謀本部に入っていたといわれているが、その情報はある参謀によって握りつぶされたという話もある。
その参謀はシベリアへ抑留されたが、東京裁判ではソ連側の証人として出廷したことがある。
戦後帰国してからは日本の某商社の重鎮となった。
後に何人かの人がそのことを問いただしたことがあるが、必ず話をはぐらかしたといわれている。
彼の名前は瀬島龍三という。
 ところで、どうして日本の軍隊は、そんな具合に中国へずかずかと入り込んで、我が物顔だったのか。
ふと気がついたら、そこのところを全然つまびらかにできていない。
どうも、年表を遡っていくと、「義和団事件」にたどり着くようだ。
これから、そこら辺をもう一回、通り一遍でなく、勉強してみなくちゃいけないな。

どこかの首相は、「戦後の生まれだから、今更戰争のことをいわれても困る」といったそうだ。
バカである。