散歩に出て、日頃めったに行くことがなかったルートをたどることになったのは、昨日Facebookで知人が書いていたことがきっかけだった。清澄通りの両国近辺に面白そうな展示をしているという。
いつもの蔵前神社点検にいくと、ミモザは終末期を迎えてきていた。そこへ幼い子供に自分と同じような洋服を着せて記念写真を撮ろうとする若いお母さんがしきりに周囲を制圧している。子ども二人をミモザの前に立たせて低い位置から、驚くような高価なフルサイズミラーレスで狙うけれど、子どもがいうことを聞く訳がない。そのたびに中断しては、声をかける。あんまり時間を制圧しているから、さっさとミモザい近づいてアップを撮った。それにしても随分高いカメラだった。きっと家では「愛する子どもたちの記念をたくさん残してやろうとは思わないのっ!」と旦那に怒鳴ったかもしれないね。もっとも、大金持ちかもしれないけれどね。
蔵前一丁目の信号を隅田川の方へ曲がると、昔は蔵前国技館が建っていたところへやってくる。その向かいにはこの界隈ではあちこちにビルがある「ライオン」の大きなビルが立っているけれど、ここは昔は逓信省絡みのビルがあって、ここに大きなプールがあったことを思い出した。この一画は全く変わってしまった。蔵前国技館は私が小学生の時に両親と一緒に初めて相撲を見に来た。何度も書いているけれど、この日鳴門海が吉葉山に勝った。
蔵前橋を渡って、同愛記念病院のところまで来ると、前に来た時は見たこともなかった12階建ての大きな病棟が建っている。この病院は背中合わせに特別養護老人ホームを運営している。それにしてもこんな大きな病棟が必要なのかな。実はこの病院は泌尿器科がとても有名で、一度前立腺肥大のマーカーが高い数値を示して、診察してもらいに来たことがある。
同愛記念病院と安田学園の間の道を通って、安田庭園に来る。今は墨田区立の公園になっていて、入園料は無料。考えてみると、これまで一度も入ったことがないのかもしれない。昨日六義園に行ってしまったので、どうしても比較してしまうのでとても手狭に感じてしまって一周する気にもならない。池があまりにも綺麗に整備されすぎてしまっていて、水鳥もいないので、つまらない。そういえば、今年はこの辺に水鳥が殆ど来ていない。隅田川にもいない。
目的地は第一ホテル両国の向かいにある古い建物で、なぜか知らないが「松竹会館」と書いてある。一回は民族衣装のお店のようだけれどお店の人もいないし、お客もひとりもいない。二階は「民族館」と書いてある。どうもよくわからないのだけれど、この「松竹」は浅草六区にあった映画館の松竹館のことかなぁ。今は浅草演芸ホールが常打ちの寄席にになっているけれど、昔浅草には松竹演芸場というのがあった。デン助劇場がテレビで中継されていたのはここだった。その当時私は浅草になんの関係もなかったけれど、土曜日の午後はテレビでデン助は見ていた。「住みちゃぁ〜ん、住みちゃぁ〜ん」といってデン助が舞台に出てきた。18日までの展示がどうも落語絡みの展示ばかりで、それで金原亭馬久と春風亭一花の夫婦がFBにアップしていたらしく、その展示の写真の中にジャズ・ベース・プレイヤーの馬久のお父さんが登場している。小里んちゃんの写真もあったなぁ。驚いたのはかつて浅草にも末廣亭があったということだ。一体いつだったんだろう。なんでも一年もなかったんだというのが、展示室におられた方のお話だった。
さて、そのまま大江戸線で戻ろうかとも思ったんだけれど、今日は天気が良いので、大江戸線で反対方向へ向かい、勝鬨で下車。そうだ、今日も勝鬨を歩いて渡る。今日は木曜日なので「かちどき橋の資料館」があいていた。入ってみると、受付の女性が二人おられて、開いているのは火・木・金・土の四日間で、特に木曜日は午前と午後にguided tourがあるんだそう。申込みはHPでできます、と仰るからわざわざ「爺はHPが苦手でねぇ」といってみた。
大きな直流の発電機が二基ある。機械学会の資料にはこう書いてあるけれど、文系爺にはなんのことやらさっぱり。
重心位置にある半径7.4mの歯車と組み合わされたモーターで駆動する。開閉速度は交流モーターと直流発電機を組み合わせたワード・レオナード法により制御され、貴重なこれら設備は隣接する旧変電所を改装した「かちどき 橋の資料館」に保存展示されている。
築地から日比谷線で帰宅。スーパーで天丼を買ってしまった。9千歩くらいは歩いたから良いってことにする。