今朝の夢は結構悲惨だった。いつもだったらトイレに立ってそのまま二度寝に寝床に戻るのに、今朝はその夢のせいで寝床に戻る気になれなかった。それは、プロジェクトの現場が舞台で、どうやら内戦が頻発しているらしくて、戦闘服を着た、多分政府軍の兵士が4−5人走り込んできて、反政府軍、姿は見えない、に対して銃撃をする。うわっ、こりゃたまらんと事務所棟へ逃げ込み、もう、こんなプロジェクトは嫌だから、会社を辞めるという。会社を辞めるどころか、こんなところでプロジェクトを受注するなよ、という話だ。しかし、上司は「なんていうやつだ、お前は仲間を見捨てるというのか」と応じないどころか、悪いのは私だといってあげつらうのだ。
目が覚めて、たしか日本の企業がアフリカのどこかのプロジェクトで人質にされて何人も死んだことがあったなぁと思い出した。調べてみると、日揮がアルジェリアの内陸で開発建設していた天然ガスプロジェクトの現場にイスラム過激派が攻め込んで40人を人質にし、それに対して政府軍が強硬に制圧して日揮の現場スタッフ10人を含む人質が殺された事件だった。あれから今年の1月で10年経っている。
この夢の裏にはやっぱり自分がサハラでのプロジェクトにホンのちょっとだけ関わったことがあったからがあるだろう。たったの半年の現場だったけれど、今から考えてみればかなり厳しい状況だった。
元請けの立場だから、それでもまだマシな方だったのだけれど、実際の現場の非熟練工は下請けであるレバノン系の企業がスリランカから連れてきた連中だった。彼らはあんな環境の中で、なんであんな格好で仕事をしているのかと不思議だったけれど、実情を聴いて驚いた。募集場所にやってきた彼らを採用したら、その場でそのまま車に乗せて空港へ運び、アフリカまで来ちゃったというのだ。なんでそんな強行な日程なのかと思ったら、逡巡する連中が出るからだというのだからだと聞いた。それではほとんど徴用工ではないか。だから彼らは着の身着のままなのだ。それでも三食は食堂で支給され国へ帰ればそこそこの生活ができるという。典型的な労働搾取そのもので成り立っていた。こうしたプロジェクトは国際入札だから他国のライバルより安い額で入札しないと受注できない。当然コスト管理も厳格にやらないと間尺に合わない。レバノンの下請けとはいくつものプロジェクトで組んできた。元はといえばファミリー企業で、うまい具合に国際競争市場を泳いできた。うまい具合というのは、つまり必ずプロジェクトを追いかけて、半分騙すようにしてコストを抑えるということに過ぎない。なにしろ連中は現場で使う車は冷房を動かさせなかった。なぜなら燃費が悪くなるからだ。
そんな現場で「プロジェクト現場だから我慢するのが当たり前だという考え方は間違っている」と主張してくれた先輩は眩しかった。
日本の企業はそうして「成長してきた」ということになっている。