ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

仕方がない

f:id:nsw2072:20181001133640j:plain:w360:left 予想外の自然災害だったんだから仕方がない、とズ〜ッといっているわけです。それはもうずーっとなんです。昨日今日始まった話じゃない。火山が噴火したといっちゃ仕方がない、地震が起きたといっちゃ仕方がない、台風が来た、津波がきた・・・自然の力には勝てない・・仕方がない。
 
 その災害にぶつかっちゃった人たちは家もままならない、仕事もままならない、いったいどうやって将来展望を持ったら良いか、いや、もうどうしようもない、このまんま人生を終えるしかない、と絶望を抱えて、体育館にいるしかない。
 
 いつまで繰り返すんだろうかなぁと思うけれど、仕方がない。

 40年近く昔、アフリカの工事現場に長期出張したことがあります。準備段階で、あれこれ手配をしているときにチームの全体会議がありました。費用的にコックを連れて行くわけにいかないから、メンバーが交代で自炊をする、現場が稼働し始めたら、現地の下請けが作るキャンプの中で、レバノン人のコックが作る料理を食べ、ふたり部屋で暮らすと説明をされました。砂漠の中の現場だから仕方がないと当時の日本人労働者は甘受しようとするわけです。その時に、ひとり、今までにもインドネシアの現場、マレーシアの現場で仕事をしてきた人が手を上げて、それでプロジェクトの予算を保つのはひとりひとりが犠牲になっているということになるじゃないか、諦めないで、より現場の生活が良くなる方向を模索するべきだということになって、ふたり部屋はひとり部屋のモービルハウスに改善された。良い歳をした男が常に他人と暮らすのは精神衛生上良くないということが理解されたわけです。良くあの現場で精神的に耐えたと思います。

 テレビでイタリアの市民保護局の災害対策支援体制を聴いていて、イタリアにできることが日本にできないわけがないと気がつきました。自然災害だからといって、私たちは諦める必要はどこにもない。国がこれを積極的に支援しないなんて、それこそ文明国とは名ばかりだと。福島第一原子力発電所事件をうやむやに、ないがしろに「もう大丈夫、帰りなさい」宣言をさせて良いわけがない。
 
 戦争中の日系米国人達が米国西海岸から強制退去させられ、収容所に隔離されたとき、多くの日系米国人、日本人は「仕方がない」を繰り返してきたけれど、1988年、多くの日系市民の運動がみのって米国政府は謝罪と賠償をしました。「仕方がなくない!」のです。