ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

喋らないで

第3有楽橋架道橋

 まずいっておきます。バスの中でべちゃくちゃ喋らないでよ。

 今日の散歩はふと気がついたら気温が30℃になっていたので、もうやめにしちゃおうかと思ったんだけれど、それでもせっかく先週末からぽとぽと歩いているんだから、途切れさせずに歩こうと、水を持って出かけることにした。これで三日連続して、大江戸線に乗っている。今度は反対方向へ行こうということにして、勝鬨へ向かう。近頃では「勝鬨」と表記してくれなくて「勝どき」と書かれてしまう。多分、10年後には東京の子どもは「勝鬨」を読めなくなることだろう。
 向かいのシートに座った爺さんが、仕切りにiPad Miniを取り出して、端子を取り出して歯ブラシで(良く持って歩いているなぁ)磨いたりしているけれど、あんなことをして端子が摩耗しやしないかと気になる。一体、電車の中で彼は何をしようとしているんだろうか。

 無論、私が子どもの頃は勝鬨橋は時として稼働していて、晴海通りを走ってきた都電が信号で止まった記憶がある。例によってウィッキペディアで調べると、船の通行のために最後に稼働したのは1967年だと書いてある。意外と最近まで動いていたんだね、というと、「1967年は最近じゃねぇ!」という声が聞こえてきちゃうけれど、東京五輪後だからね。
 橋の東側にはタワーマンションがニョキニョキと立っているけれど、昔の記憶を呼び覚ますと、プラザかちどきなんてのは乾倉庫だったわけで、この辺はガサツな雰囲気だった。晴海の見本市会場で、良く展示会が開かれて、1980年代後半はその会場へ通った。何度も書くけれど、晴海通りを通るバスしか交通手段がなかったから、バスが満員になってしまうと、後は歩くしかなくて、だから展示会の主催者は都バスをチャーターして東京駅からシャトルサービスをした。

 そんなシャトルサービスといえば、急に思い出したんだけれど、かつてオンワード樫山がまだ破竹の勢いだった頃、あの会社の港区海岸の建物で、社員家族感謝セールみたいなのがあって、良く通って、ビジネス用のワイシャツやジャケットを買った。しかし、田町の駅からそこまで1kmちょっとあって、あの会社はシャトルバスを走らせていた。それでもなんだかんだいいながら油臭い工場というか、倉庫というか、そんな街並みを歩いたものだった。オンワードのJ-PRESSというブランドはまるっきりのいわゆるIVY風で、VAN亡き後の揺るぎのないIVYおっさんの必需品だった。そんなブレザーで仕事に行っていた頃もあったんだけれど、役員に近いところでの仕事についていた頃に、上司のおっさんに「ちゃんとスーツを着てこい」といわれて、そこから出番が消えた。(話がとんでもないところへきた。)

 勝鬨橋を渡った西側にニチレイのビルがあるんだけれど、その川上に興和住生築地ビルがある。このビルの開発時に、噴水をおくの置かないのという話があったような気がする。構想だけだったのかもしれない。

 勝鬨で東京駅丸の内南口行きのバスに乗って、有楽町のビックカメラを目指す。もう少し待てば四谷行きのバスが珍しく来るらしかったので、ここで目標をかえて、溜池経由で四谷に行けばよかったかもしれない。なんせ1時間に一本しか来ない。
 後ろから二列目の右側の二人席が空いていたので窓側に座る。この位置は空いていることが多い。昨日もこの位置に座ったら、孫連れの婆さんが隣に座って、喋り続けていた。今回は、一列前に座っている爺さんと婆さんがずーっと喋っている。ひと言いいたくなるが、いったら、多分「なんで話しちゃいかんのだ!」と帰ってきそうで、いつもいえない。

 数人が大体築地か銀座四丁目で降りる。ビックカメラにテレビ録画用の外付けHDDを見に行く。だいぶん安くなっていて、I・O DATAかBuffalloだったら8TBでも2万円ちょっとで買える。しかし、問題はここではなくて、録画機が壊れたらもう二度とその外付けHDDの録画が見られないという宿命にある。そろそろ2台目のHDDが満杯になってきてしまっているのだけれど、肝心のブルーレイ録画機それ自体の寿命がいつになるかという点にある。録画機をパラレルにテレビに接続すれば良いのだろうか。見返すことは滅多にないのだけれど、本と一緒で、この番組は捨てるともう二度と見られなくなるだろうという点にある。NHKだったらオンデマンドで買うって方法もあるのになぁ、とずっと悩んでいる。

 一気に伊東屋へ向かう。しかし途中でMUJIに立ち寄って、カバンの中の水筒に水を補給する。あそこのボトルであれば、無料で補充できる。伊東屋の画材売り場が本館の7階に移ってから降りてくるのが厄介で、上がっていない。エレベーターで7階に上がって足を踏み出すと、そこに伊東屋の顔見知りがいて、両方で目を見張り、「久しぶりだねぇ、元気?どうしているの」とまるで高校の同級生だったおばさん二人みたいな案配だ。伊東屋の知り合い何人かの噂をして「じゃ、またね」と別れる。彼の写真は私の好みのセンスがある。綺麗なビーチを良く上げている。何本かのサインペン系を買った。やっぱりこの辺はハンズにはない。こういう筆記用具売り場には若い、本当に若い、まだ10代と思しき男女が用具を仕切りに見ている。みんな漫画やイラストを描いているんだろうか。それとも今の人たちは当然、パソコン上で描くんだろうか。中央通りの歩道に自転車を乗り入れてくるおばさんがいて、声をかけようかとも思うんだけれど、人目を引くのが嫌で我慢する。

 二丁目のメルサにくると「51周年、ありがとうございました」と書いてある。ありがとうが過去形になっている。どういうことかと思ったら、この8月で閉鎖、建て直すそうだ。開店したのは1971年だというんだね。なんだか身につまされるね。その斜向かいのみずほ銀行(昔は富士銀行だった)も閉鎖されていて、解体・建て直すといっている。たった半世紀で銀座の街並みが変わるってことなのだ。「ささ、爺さんも退散 退散!」と急かされているような気がしてくる。