ほぼ足りてまだ欲 その先

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まぁ、本

f:id:nsw2072:20210701011736j:plain:w240:left 立花隆が死んだおかげ、といってはなんだけれども、私は彼が「日本共産党の研究」という本を書いていたことに、知らなかったのか忘れているのかわからないが、今更気がついた。1978年に講談社から上下巻で刊行されているのだけれど、初出は1976年年初から丸二年間週刊文春に連載されていたものである。ま、「田中角栄研究」と全く同じ経路で発表されている。この連載のおかげで、立花隆日本共産党は激しく対立したんだそうだ。日本共産党にとっては過去の党活動を暴き出されてしまったことで、折角戦後30年をかけて再生してきた状況を、ぶち壊しにされんとしているわけだろう。
 この十年前、私たちは日本共産党日和見だとして糾弾してきた。民青なんか、手に手をつないでフォークダンスか!と思っていた。しかし、今になってみると、フェアなスタンスで政治を考えているのは、日本共産党を含めて、非常に限られた組織だけになってしまっているのが、今日(こんにち)の日本の現状であることを考えると、この本をどう読むべきかと思う。

 なんで集英社が季刊誌「kotoba」でビートルズ特集を出したのか知らないけれど、この雑誌がなにもビートルズをやらなくても良いじゃないか、という気がしないでもないし、中身がなんだか、個性のない記事ばかりな気がして仕方がない。いや、そんなことはないだろう、結構ビートルズ・マニアらしい書き物ばかりあるじゃないかという声も聞こえないことはないけれど、どんどんビートルズが歴史的なエポック扱いをされる度合いが際限もなくひろげ続けられてきていて、ま、ありていにいえば、オンタイムのファンだった、支持者だった、俺たちを差し置いて、何いってんだよ、と云う気分になるっちゅうわけだよね。彼等の動く様を初めて映画で見て、心躍る気持ちを生まれて初めて全身に感じ、髪の毛を伸ばし、ベルボトムを履き、ゴアブーツを銀座のワシントン靴店で買い込んだ、あのウキウキ気分を横から、あるいは後ろからやってきた、若造どもにものの見事にかっさらわれてしまったような気がするのである。返せ、俺のビートルズを!

 そういえば彼等が羽田に到着したのは6月30日のことだ。