ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

まだ読んでいないが、失敗じゃないか

f:id:nsw2072:20220314212249j:plain:w360:left 本日は日本橋弁松本店のtwitterに容易に感化されて、隣の区の図書館へ行ったついでに、地下鉄で大手町へ出て、日本橋まで歩き、三越の地下で「春ちらし弁当」を買うに及んでしまった。なにしろ期間限定の言葉に弱い。いつもだったら並六白ご飯のお弁当しか買わないのに、なにしろこの水曜日までしか売らないぞ、というのである。実物を目の前にしたら弁当が四角くて、これでは弁松の弁当用布袋に上手く収まらないのである。それでも意気揚々とうちへ持ち帰り、最高気温が24℃ならんというなか、春を実感したのである。

 実は、この時、勢い余ってタロー書房に踏み入ってしまい、店頭の平置き台で、二冊の本を手にしてしまった。

 この二冊には共通点があった。著者が二人とも、元NHKの職員である。考えてみれば、宮田輝NHKのアナウンサーだったんだからNHKの人間が書くのに何の不思議もない。
 古谷敏郎は(一瞬漫画家のあの人かと思ったなり)NHKのアナウンサーだった人だ。だからしょうがないのかも知れないけれど、のっけから著者は宮田輝のことを「宮田”さん”は・・」と書く。結構多かったと著者が書いている「アンチ宮田派」だった私には邪魔くさくてしょうがない。あの臭くて臭くて、鼻をつまんでいないとテレビが見られないくらいの宮田輝のMCが私は大嫌いだった。三つの歌なんかのあの臭さ加減たるや、ラジオになにかをぶつけたくなるくらいだった。そこへいくと高橋圭三の洒脱な雰囲気は好きだった。だから「私の秘密」は大好きだったし、ひと頃は高橋圭三の「どうもどうも」の物まねで受けていた(もう高橋圭三を知っている人がいなくなって、全然受けない)。だいぶんこの本は間違いだったかも知れない。

 村上勝彦は20年以上のNHK記者からBPOに在籍し、放送の自由を観点に発言してきた人だというけれど、近年までRAAの存在を知らなかったというのは、ちょっとがっかり。確かに知らない人は普通にはいるだろうけれど、NHKの記者だったというのであれば知っていて欲しかった。ということは、やはり保阪正康ではないが、自分が十分知っていることでも、多くの人が知らない可能性が高いんだからいつまでも発信していかなくてはならないということを肝に銘じているべきなんだろうなという気がする。RAAがそれほど長いこと存在しなかったことのウラには、米国本土における報道に、留守を預かる女性達から猛烈な反響があったということも伝えられているのだけれど、彼はそれには触れていないようなのが気になる。しかし、この分野はいつか誰かが書かなくてはならないと思っていたから、反射的に手を出した。
追記
 多少読み進めてみると、著者が本当に言いたいことは、最後の非常に短い第七章「真実を伝えること」に集約されているのではないか。ただ見ているだけの日本人に大いなる疑問を投げかけている。
 
 それにしてもタロー書房のキャッシャーはいつまで経ってもまるでどこかのスーパーのキャッシャーみたいで、素人感満載である。