ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 変な散歩。ブックオフへ行こうと思って歩き始めた。そうだ、集合住宅で使うシールを買う。いざというときに支援が欲しい人のその印にしようと思っている。街中そのものはそんなに人はいないんだけれど、例えば商店街とか、日頃人が来ないようなところに人がいたりする。それが連休の谷間だってことなんだろうなぁ。
 オフィス街を通り過ぎると、それなりにランチに外へ行こうと出てくる人や、お弁当屋が出ていて、その辺は本来休みじゃないってことがわかる。
 仲御徒町のいつもの床屋はまったくガラガラだった。鉄道の高架の下にあるお洒落商店街の帽子屋を冷やかして秋葉原に抜けると、やっぱり外国人を中心に中央通りは人混みで歩くのもままならない。
 そんなところなのに、後ろから女が強引に肩をぶつけながら追い越していく。なんだ、こいつイヤな奴だなぁ、日本人じゃこんなことはしないな、と思って舌打ちをすると、そのすぐ後ろから今度は男が突き飛ばすようにして追い越していく。なんだこの野郎と思って睨んだから、この男、なんとにらみ返してきたのだ。昔だったら、「なにガンつけてんだよ、このやろぉ〜っ!」ボカスカってところだ。すげぇ、あったまきた!頭にきたら、足を運ぶ気にならなくなった。信号を渡って警察の側へ行く。なんだったんだあの野郎はと見ると、女二人とその男の三人連れのようだ。
 万世橋をわたって、須田町の交差点を渡り、ムカムカしながら中央通りを歩き続けてとうとう室町までやってきた。COREDOに入っていつものヒレカツ丼を食ってタロー書房+パン屋といういつものコースを逆にはいってきた。で室町三丁目東の信号を昭和通り側に渡ったら、なんとくだんの三人がまたいるのだよ。なんだ、このバカヤロウ!心を落ち着けて喰わないとヒレカツ丼が旨くなくなる。
 後でよく考えてみたんだけれど、彼ら三人はひょっとすると観光客を装ったスリ集団かもしれない。そういわれてみれば、外国ではその種の連中が平気でいたものだ。これだけ様々な外国人が入ってくるのが普通な状態になったのだから、それ位いてもまったく不思議はない。しかも、日本人は慣れていないからこういう見解を述べてもほとんどの人が「まさか・・」と思うに違いない。
 スロバキヤの外国人観光客が必ず訪れるポイントで、日本語を流暢に操ることができる現地のガイドさんが一際大きな声を出して、「皆さん、今すぐ振り返らないでください、今皆さんの後ろにいる男女二人は観光客のようですが、あれはスリです!」と言ったことがある。いわれて初めてわかったんだけれど(振り向いてしまったわけですな)私の目にはまったく普通の観光客としか見えない。
 ヘルシンキの大聖堂の前で現地在住の日本人のガイドさんが、解散する前に「え〜ッと今日はまだ大丈夫ですが、ここはその種の人たちが来ますから、気をつけてくださいね」といったんです。
 パリにはあの有名なロマの若手女性たちがつるんでやってくる強引なスリ集団、あるいはニセの署名運動詐欺があります。地下鉄の中を白昼堂々と三人組みでやってきて、ぼぉとしているお客のポケットに手を突っ込んでいきます。
 いつものトンカツ屋もさすがに今日は連休の谷間だから、お客さんの数はいつもより多い。私が座った向こう側には次から次に同じような年格好の爺さんがひとりずつ三人来た。三人が三人とも、ボタンダウンのシャツにジャケットを着ている。ひとりなんぞはジャケツの襟にちょっときらっとするようなブローチのようなものをつけている。お前は素人じゃねぇのか。いい歳をした爺が飾り物なんぞつけて・・・さっきの連中から今日は虫の居所芳しからず。ここの仲居さんは丼を頼まれると「無料ですが、ご飯大盛りできますよ!」と必ずお勧めになる。私は「いえ、結構です!」と返事をするのだけれど、多くの爺さんは「なぁにをばぁかなことをいってんだよ」という雰囲気で苦笑いをしながらかぶりを振る。お前の事情なんてどうでも良いから、要るか要らないかだけいえば良いんだよ、とこれも気に入らない。
 その爺さんが「この味噌カツ丼というのはなんだ?」とか、「コロッケみたいなのはないのか」とか、いろいろ聞き回す。わかんないものは頼むな!コロッケなんてその辺の総菜屋で買え!とかいちいち腹の虫が治まらない。(実はここの店にはちゃんとコロッケもある。)多分家では「揚げ物は台所が汚れるからイヤなのよね!」と云って作って貰えていないに相違ない。
 タロー書房に入ってみたがお目当てはない。ここは新書の棚が小さいからね。
 しょうがない、丸善だと店を出たら、その先のコンコースみたいなところで、なんかやってる。なんだろうと思ったら「お坊さんと話そう」と書いてあって、墨衣を来た見るからにお坊さん(当たり前か)と見るからにそうではない人が一対一で椅子に座って本当にお話をしているんだけれど、この人たちはどんな人なんだろうかと大変に不思議だった。というのは普通通りかかった人が「お坊さんと話しませんか?」「あ、そりゃいいや」という展開になるとは考えにくいじゃない?

 寺社フェス「向源」とは、宗派や宗教を超えて、神道や仏教などを含めたさまざまな日本の伝統文化を体験できるイベントです。

 こんなことを書いてあるんですが、日本の伝統文化ってのは宗教だけの話じゃないわけで、これが仏教の集まりなんだったらずいぶんと大きい守備範囲を宣言しちゃったんだなぁと、その荒唐無稽さがちょと理解を超えている。何となく発想が例のごく右翼グループと重なって見える。
 しかし、一体どんな話をお坊さんとしているんだろう。
 結果的には約5km程を歩いたことになるだろう。11,827歩。

日本会議の研究 (扶桑社新書)

日本会議の研究 (扶桑社新書)

 多分この会社の本を買ったのは後にも先にもこれが初めてだろう。何しろ扶桑社といったらフジテレビの出版部門だったわけだから、私が最も忌み嫌う系統の出版社だからだ。しかもこの本は今や日本会議自信が出版をやめろと脅しをかけている本だというのだ。不思議なことにAmazonでも現在品切れ中となっていて、もっと不思議なことにこんなに話題になっているというのに、タロー書房にはその痕跡も見いだせないばかりか、丸善においても一階ではどこにもおいておらず、この5月1日発行にもかかわらず、新書新刊置き場にもまったく平積みされておらず、それどころか「扶桑社新書」のラベルすらない、新書棚の一番奥のところにひっそりと置かれている。そんなことはないといわれても、いや、これは実際に圧力がかかっているとしか思えない。奥付を見るとこの著者は1971年生まれ。昨年まで一般企業のサラリーマンだったと書いてある。
太平洋戦争と新聞 (講談社学術文庫)

太平洋戦争と新聞 (講談社学術文庫)

 原典は古い本で、「兵は凶器なり(1989年)」と「言論死して国ついに亡ぶ(1991年)を元に加筆修正したと巻頭に書いてある。著者は1943年岡山出身。元毎日新聞記者。中に書かれていることでこれまで語られなかったことが語られているとは思わないけれど、なんでこうなってしまったのかを検証するために、若い人たちが手に取ってくれると良いのだけれど、こんな分厚い、440頁もあるような本を手にしてくれるような気がしない。どうせ無理だろう。 どうせ結局買うことになるんだろうと思っていたんだから、この際しょうがないからと買ってきた。こういうかきかたの本こそ若者が手にしやすいって奴かもしれないが、それでも文字を読むなんてことをするような人だったら騙されることも少ないのだろうけれど、読まない人間だったら簡単に騙されるんだからしょうがない。
ストロベリー・デイズ―― 日系アメリカ人強制収容の記憶

ストロベリー・デイズ―― 日系アメリカ人強制収容の記憶

 こんな本が、しかもみすゞから出ていたとは知らなかった。みすゞらしからぬ題材だとは思う。しかもこの本は当事者が書いているのではない。1956年生まれのワシントン州、シアトル近郊の元新聞記者で、関連する日系米国人にインタビューしたものをまとめたもので、多くの関連登場人物の語りはDENSHO(こちら)で実際に聴く事ができる。米国のオーラルヒストリー拠点はこの種の資料を多く残している。