ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

今日もまた雨である

 これでもまだ梅雨入りしているわけではないのでしょうかねぇ。ふってんだか、降ってないんだかはっきりしない感じの一日です。「ブックオフオンライン」というオフでオンなサイトで古本を探したら、ブックオフのどこかの店にあるということで、自分の地域に近い支店に回してもらうことができるというので、そこで「花森安治伝」を入手。220円である。2013年に刊行されたものを2016年に文庫化したもの。表紙は亡くなった平野甲賀である。わが家には「暮しの手帖」は日常的な風景であった。常日頃からあった。多分お袋が継続的に購読していたのだろう。あの人は近くの本屋さんに届けてもらっていた。当時はそれを「本を取る」といっていた。そんな環境だから、自分も子どもの頃から「野球少年」をとって貰っていた。子ども心にテスト風景が興味深かった。だから花森安治は変わった格好をしたりしてたけれど、それほど遠い人とは思っていなかった。だからこれを読んでみたかった。
【追記-20220604】花森安治は神戸の出身だけれど、高校は松江高校である。官立17番目の高校だそうだ。そこから東京帝大に進む。文学部美術美學史学科だそうだ。当時の文学部には16もの学科があって、そのうち定員に足りているのは、たったの三学科だったそうだ。だから、学科を選ばなければ、結構簡単に入学できたらしいが、そこまでに既に淘汰されてしまっている。しかも、三年間在学して、試験に受かれば、三年で卒業もできたそうだ。しかし、花森は四年在学している。昭和8年に入学して、昭和12年に卒業したということか。

 こんな若い人が裏横浜というタイトルの新書を書くというのに驚いたけれど、となるとだな、私たち団塊の世代の横浜は大変ディープな大裏とでもいうようなあたりを彷徨っていたのかも知れないね。なにしろ著者がいう横浜といえば大洋ホエールズ、には大いに違和感があるのだ。大洋ホエールズは川崎がホームだったからね。今の横浜球場のあるところにはかつては横浜平和球場という野球場だった。福岡にあったのは平和台球場。結構由緒のある球場で、ナイター設備がついていて、スコアボードもよくあった、数字の札をヨイショとぶら下げるのではなくて、蛇腹状になった数字を巻き上げていた。都市対抗野球の決勝戦で、その後巨人に行った藤田元司が日石カルテックスのエースとして投げていたのをみたことがある。神奈川国体の時に、その年甲子園で優勝した四日市高校の試合を見たことも思い出す。どうやらそれは1955年のことで、私は小学校二年生である。しかしこの本によると、平和球場の前はクリケット場であり、その前は遊郭だったと書いてある。よく調べたものだ。ここでもPOW研究会の笹本さんの資料を引用してあって、戦時中ここには捕虜収容所が設置されていたそうだ。

 山崎雅弘のtwitterでこの本が今月出版されることを知り、必ず入手しようと思っていた。教文館集英社新書の棚にささっていたので慌てて手にした。私が常に感じていたことがそのまま表現されているんじゃないかという気がする。

 MBS毎日放送のジャーナリスト。「教育と愛国」を映画化した。

知っていても、知らなくても良いような気がするんだが、出版された時から気にはなっていた。多分後になって後悔するような気がしたので、教文館で買ってしまった。父親の開作の写真を見るとこれはどこかで見た人で、どこかなぁと思案の挙句到達したのは征爾の息子、征悦がNHKのファミリー・ヒストリーに出たときに、見たのだとわかった。そういえば、小澤征爾の財産はちょっとやそっとではないらしくて、ここから先、娘と息子、そして妻の間で一悶着ありそうだと、業界雀は騒いでいるんだそうで、やっぱり知らなくても良いかも知れないな。