ほぼ足りてまだ欲 その先

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訃報

 

 ゴルバチョフが死んだそうだ。

確かに歳も歳だったから寿命だろうけれど、この時期に死んだことに意味を感じてしまう。

ひょっとするとある勢力が彼の死を早めたと考えても良いかもしれない。

それはもちろん世界の狂犬プーチンである。かつてはリビアカダフィをアフリカの狂犬といったけれど、今やプーチンを狂犬と呼ぶことに異論はないだろう。

NHKがニュースでモスクワの市民の声を3-4人紹介していたが、そのうちの大半は「彼はソビエトを壊した人間だ」という論調だった。

不思議なことに共産主義から自由主義へ移行すると、必ず「共産主義の方が良かった」と振り返る人が出る。

それは自由主義へ移行した時の政府が社会的な保障を捨ててしまうからである。

例えば配給制度によって、選り好みはできないけれど、死からは免れることができる程度には保障されるというものが、誰もが自分の好きなものを入手できるようになった瞬間、そのための努力が必要となってしまう。それができない人たちに対する保障制度が足りないと当然過去を振り向くようになる。

これだけボロボロな自由民主党の支持を撤回する勇気を持てない人たちも同じことで、これまでの自民党支配から針が反対に振れた時に、やっぱりあの方が良かったという声は出てくる。なぜなら慣れ親しんでいたからである。

これだけボロボロにされてもこれまで自分がやってきたことを撤回はしにくいし、高齢者であればあるほど、それまでの自身の人生のほとんどを否定することには踏み切れない。

大日本帝国天皇陛下のために死んでくるという価値観を振り回して来た人たちは下手をすれば、今でもそう思いたがる。

 

プーチンはそうしたゴルバチョフが実現した大改革で良い目を見なかった人々を抱え込んで、「強いルーシア」をバックグラウンドにしている。狂犬と呼ぶにふさわしい。
そんな連中がこの国にもいる。8月15日に靖国へ行ってみるとその一端を見ることができる。

大革命を肯定できない連中がいる。