ほぼ足りてまだ欲 その先

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構造

 これまで大きな課題だったのは資本主義対共産主義の対立だった。
そもそも経済的仕組みを対立させるのは大きな間違いで、本来的には、それぞれがそれぞれで国家の経済的仕組みを選択できれば良かった。
 ところが共産主義社会が、その統制を完璧なものにするために、政治権力を中央に集権させることを目指していたのに、それがなんと独裁主義国家となってしまい、権力を握る側と権力によって統制される側に対立することになってしまった。
統制させるためには、もっとも管理しやすいのは経済的、文化的自由度を極端に狭めていくことが非常に有効だった。しかし、逆にそれは民主主義への目覚めを喚起してしまった。
 それで、結局統制独裁主義が破綻を来したのだが、それと同時に、共産主義経済社会の破綻をも引き連れて起こし、ついに、市場経済の決定的崩壊を起こした。
その結果、自由主義的資本市場社会へ一気に雪崩を打っていった。つまり、ここで、「資本主義社会」が圧倒的な勝利を収めたのだ。
 ところがどうだろう、自由主義的資本市場はどんどん冨の集中を起こしていく。
一見、誰にもチャンスがあって、一発当てれば、大成功!に到着することができるように見えているのだけれど、実は、富が富を産み、収奪の勢いはどんどん加速する。
その結果、得るものが少ない、あるいは全くない立場にいるもの達はいつまでも収奪され続けるが、収奪する方はそれを悟らせずに実行することが出来るようになるために、そちら側にいるもの達が倶楽部を構成し、選出されたものが、結果的に統制独裁システムを構築する。
 結果的に、資本主義が共産主義に勝利したのではなくて、自由主義的資本市場社会が、退廃期の共産主義が構築した独裁システムを使って永久的収奪システムを構築したのである。
 つまり、今、私たちの社会はこのシステムの完成期にむかっている。

 では、これから先がどうなるのだろうか。次に展開されるのは、収奪される側が、窮鼠猫を噛む姿であって欲しいと、見物人からは思えるのだけれど、実は収奪されていることに気がつかない多くの市民が、のんべんだらりと収奪されていく社会だろう。

ドナルド・トランプ、ブラジルのボルソナーロ、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ、日本の安倍晋三、シリアのアサド、中国の習近平、・・・・