ほぼ足りてまだ欲 その先

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効率

 共産主義経済のもとでは、与えられた生産活動の範囲を超えた労働を提供することはない。なぜならそれは共産主義の根本的考えを逸脱したことになるからだ。例えば、高度経済成長期に日本の効率的生産性をより高めるために大いに役立ったQC活動というものは、職場でより効率を高めるためにはどんな工夫をすれば良いのかを研究し合うというもので、これは明確にいって「労働強化」そのものなのだ。つまり、より資本家による労働成果の収奪でしかない。つまり、儲けるのは資本家だけ、ということだ。
 計画した生産品を計画した量しか生産しないのが計画経済だから、無能なリーダーに率いられると、簡単に破綻する。効率的な生産体制というものはすべからく、現場の労働者の犠牲の上に成り立つ。だから、それ相応の対価を支払わなくてはなららないのだけれど、甚だ残念なことに、その効率化というものは資本家の上がりを高めるというシステム上だけで評価されるので、どうしても「労働強化」にしかならない。
 となると、「効率化」というものが何に対する、何の効率を意味するか、ということを評価しなくてはならない。