ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 昨日は一日家にこもる結果となったので、今日は歩きに出た。

 COVID-19のワクチンを一昨日の夕刻に射ってから、腕が痛くてあげられない状態はこれまでの経験から容易に想像はついていた。だから昨日の朝目が覚めて寝返りが打てないほどだったのは、別段困惑はしなかった。鬱陶しいなあと思いつつ、昼飯代わりにうどんを食ったあたりから、だんだん足元に寒気を感じ、布団に横たわると、あれ?これって、なんか感染したときの雰囲気に似ているなぁと思いながら熱を測ってみると37℃を超えていた。やや、これはどういうことだ、と思ったあたりから加減が悪い。保冷剤をタオルに撒いてあのときのようにはちまきにした。夜中に気がついて、ようやく熱が下がって普通に戻ってきた。

 今朝になってようやくスッキリしたから、勇躍散歩に出るが、どこへ行こうとも決めずに、いつもよりも一時間ばかり早めに家を出る。先日見つけた古本屋が気になったので、そこへ向かっていくが、いつもより早い時間だったせいか、開いていなかった。そうそう、古本屋というものはだいたい昼から開く。朝早くから店を開けている古本屋というのはお目にかかったことがない。そんな時間に駆け込んでくる客がいるような商売じゃない。すなわち、これがなくてはどうしても困るという商売ではない。そんな事を言ったら本屋もそうなるかも知れない。この分野の店舗数がどんどん減っていることを考えると、この国の文化はどうやら衣食住が足りていない文化に成り下がりつつあるのかも知れない。デジタル化がどんなに進もうと、本の文化的価値は低下するはずがないと思っている。しかし、結果としてそうなってきつつあるのだとしたら、それは本の価値が低下したのではなくて、それを抱える文化が低下していっているのである。

 東銀座から教文館へ向かう。派手な帯を締めた黒留袖のおばさんが歌舞伎座スマホで写真にしている。シャッターを押すまで待ってあげていたら、そのおばさん、手で「さぁ行きなさい」と合図するんだね。いやいや、おばさんそうじゃないでしょ、合図するんだったら「ありがとう」の合図でしょ。多分彼女はまさか写真を取り終えるまで待っている人がいるとは思わなかったので、とっさに同対応してよいのかわからなくて、そんな合図を送ってしまったんだろう。
 晴海通りのハナミズキはそれほど紅葉しているとは思えない。今年の秋はなかなか温度が下がらないからなのか。それでいながら天気予報は「今年の冬は寒いぞぉぉぉ!」と脅しをかけてくる。手持ちの冬装備で大丈夫なのかなぁとモンベルでコアテックスで羽毛たっぷりのコートを物色するが、どうも色が良くないんだよな。「私はダサい!」といっているような色だ。

 別段何を買うわけでもないのに、教文館へ上がった。沢木耕太郎の新著が平積み棚にあった。私は彼の著作をほとんど読んだことがない。売れるととたんに読みたくなくなるという臍の曲がり方だからだ。つまり彼の著作は軒並み売れているということだ。幸いこの著書は先月25日の発刊だ。574頁という分厚さだ。当然安くはない。しかし、先日読み始めた西木正明の「ルーズベルトの刺客」が中国における帝国陸軍の諜報員の話だったので、つい興味を持ってしまった。教文館を少しでも支えるためにと思って主にここで本を買い続けてきたというのに、最近、MARUZENのポイントに目がくらみ始めてしまっている。今日もとうとう、どうせ買うならとそのポイントが私の心を惑わせた。そのうえ、耳元で誰かが「昨日も全然歩いていないじゃないか」と囁いた。MARUZEN沢木耕太郎を買って帰る。
 沢木耕太郎のこの本は昭和18年から8年間、西域をラマ僧になりきって歩いた西川一三の「秘境西域八年の潜行」という本に出会ったところから始まっている。どうやらこの本を古本屋から探し出して、読む必要があるようだが、なにしろ新装なってからでも40年ほど昔の本で、そんなに簡単に入手できそうもない。

 まだ正午前だったので、もしガラガラだったらと、三州屋銀座一丁目店や京橋の京すしを覗くが、もう既にお客が入っていた。全部で8,900歩だった。昼飯を食ってから2時間ほどどっと寝る。