ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

年頭の挨拶欠礼はがき

 そろそろそんなハガキが到着するような時期になったのか、とも思ったが、よく見たら差出人の名前が奥さんの名前になっている。え、ということは!  
      そうだった。今年旦那が亡くなったのだという。

 30組近く結婚披露宴の司会をやった中の一組だ。同じ工場で働いていた彼は高校を卒業して二年私よりも早く社会人になっていた。浪人をして入った大学を卒業してすぐにこの工場に配属された私にとっては彼は仕事の上では先輩になる。彼は資材倉庫の管理を担当していた。そんな部署と私の仕事がどうしてつながるのか。

 船を発注した船主が、日本では入手ができない、あるいは国際的にパーツを普遍的に供給できる外国のメーカーの品物を自ら発注して送ってくる。それを保税状態のまま船に装着して、そのまま送り出す。船を建造する側が発注しても良いんだけれど、それは船主の勝手だ。自分たちのほうが安くそれを調達できるとなれば、そうして送ってくる。
 英国船を造ったとき、当時、英国の某ビール会社は英国籍のすべての船に、希望があればサルーンのタップビール用の機材を送ってきた。そうすれば、その後定期的にビールを買うだろうというよみではないか。これは英国船独特だった。彼らはオフィサー用のサルーンにもクルー用のサルーンにもそれを取り付けた。

 その保税倉庫管理を彼がやっていた。そしてその関連書類を私が受けて彼に回し、どんな機材がいつ頃やってくるかを彼はコントロールしていた。だから、私のところで書類が揃わないと、彼は知らないうちにものが来てしかも税関の処理ができなくなる。だから、しょっちゅう彼との間では、連絡が来ないの、どうするんだと揉める。なにしろ当時はバンダーで印刷されたBill of Ladingのような一種の有価証券がペラっとが航空郵便で郵送されてくる。今から考えるとゾッとするような時代で、なかなかタイトに綺麗サッパリきちんと仕事が進まない。
 しょっちゅう電話でぶつかってはブツブツの投げあいだった。そんな日々を過ごすうちに、互いに互いの仕事を理解していったんだろうか、人間性が悪くてぶつかっているわけではなくて、仕事の段取りでごっちゃごっちゃしていただけだ。気がついたらなんだかんだと付き合っていた。
 私が東京へ転勤になって、一年位で彼も東京へ転勤してきた。そして二年くらいたってからだろうか、結婚するんだといってきた。東條会館での披露宴の手伝いをした。昔の工場の先輩が仲人だった。そういえば仲人をしてくれた先輩も数年前に他界した。

今どき70歳での他界は早い。