ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ロウバイを見に行く

蝋梅が真っ盛りでございます@小石川後楽園


 小石川後楽園の蝋梅が盛りだと、どこで見たんだったか、知ったので、今日を逃すとこっから寒くなるらしいというから迷うことなく出かけた。ここにはこれまでに3-4回来ていたけれど、全部を回ったことがなくて、どちらかというと土地勘がない。で、その梅が咲いているところはどこなんだろうかとサイトにアップされていた園内マップなるものを見ると、とにかく西門から入ったら右へ右へと行けば良いんじゃないかといういつもの適当見当でいった。で、結論は去年見た菖蒲の奥が梅林ってことになっているんだった。
 この公園も結構奥がある配置になっていて、歩くうちに東門なるものにも遭遇した。その先はもう正に東京ドームである。こんなに近いんで、ドームでなにかイベントをやっていると、ドンガンドンガンうるさいのは当たり前だ。

 蝋梅をためつすがめつしていると、お一人で歩いてこられた女性が近づいてきて「ここにはうぐいすは来ないんですか?」とお尋ねになる。「え・・うぐいすはねぇ・・・」と口にすると、「あ、あれはメジロでしたっけ!?」と仰るのである。「メジロにしても見ませんねぇ」というのがやっと。見たらわかりそうなものなのに・・というか。メジロだって私は桜に来ているところしか見たことないしなぁ。あ、ここじゃないけれど。花札が頭に入っちゃってんですかねぇ。

 さすがに平日の昼下がり、ポツンポツンと、ひとりで来た爺さん、あるいは爺婆カップルにたまに遭遇するくらいである。
 紅梅、白梅は木によって咲き方に違いがあって、枝という枝に花がついている木があるかと思うと、まだ全然な木があったりする。その上、今わかった話じゃないが、梅の花というのはとても小さいから、写真にしてもわかりにくい。桜のように花びらが大きく広がったりしないし、写真にしてみると、なんだかクチャクシャっとしていて今咲いたばかりなのか、あるいはもうクッタクタになっちまったのやら区別がつかない。

 ここには池がいくつもあるんだけれど、水鳥が殆ど来ていない。東門を入ってすぐの「内庭」と呼ばれている池を含む庭にわずかにマガモが三羽いるだけ。大きな池にはアオサギが一羽いただけだ。どうも今年はどこへいっても、水鳥がいない。来ていない。なにかあるんだろうか。本当にあの鳥インフレの影響が渡り鳥にあるんだろうか。こりゃやばいぞってんで日本を避けているんだろうか。

 東京ドームの裏にある後楽園駅から丸ノ内線で銀座に出てブックカバーを探そうとする。優先席に若くてどでかい男がマスクもせず、堂々と1.5人分のスペースを占めて知らん顔をしている。その端に座っていたアジア人と思しき若い男性が席を譲ってくれた。それでもそのバカ男は知らん顔をしている。耳にbluetoothのイヤフォンを突っ込んでスマホを凝視している。画面には男が写っていて、そいつの話をタダ聞いているだけのようだ。平日の昼下がりの電車くらい、優先席をちゃんと機能させろといってやりたいが、怖い。今のバカ者たちは何をするかわからないという先入観がある。

 ブックカバーはどうやらどこへいっても蔑ろにされているようで、ただ高いか、ヘナヘナかのいずれかである。硬い紙でしっかりしたものを自分で作るしかなさそうだ。

 昨日知った珍しい本をMRUZENで買った。一橋大社会学部加藤景木ゼミ編「【日韓】のモヤモヤと大学生のわたし」という。一橋の社会学部といえば、名にし負う存在だと、私は法政大社会学部とともに認識している。加藤景木先生については全く存じ上げないが、学生一人一人にこうした考える時間を持つ機会を作り出したことには賛辞を惜しまずにいたい。多分、月刊Hanada界隈の人たちは、「洗脳」だなんだというに違いないが、彼らは無責任な扇動はするが、ほんとうの意味での教育をわかっていないといって良い。多くの人に読まれることを希望するが、多分いっときの話題にはなるだろうけれど、軍需費倍増の暴風に吹き消されかねない。かれらの行動を褒め称えたい。

夕陽に照らされたわがベランダの白梅も捨てがたい