ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

小林信彦

日本橋川に風が吹き抜けている


NHKの「スイッチ・インタビュー」が小林信彦細野晴臣のパート1だった。ということはパート2ってのがあるってことだ。
両名とも私はほとんど接してきていない。

 細野晴臣が「はっぴいえんど」なるものを大滝詠一松本隆鈴木茂なんかと作った頃、私もやはり大学生の後半くらいで、学生運動真っ盛りではなかったか。学校がロックアウトされたりしていたが、その校舎に楽器をリヤカーで運び込んで練習したり、彼らと揉めたり、そんな日々だった。授業が亡くなったのをこれ幸いに運転免許を取りに自動車学校へ通って、理不尽な対応をする指導員に腹を立てているうちに、突然学校が授業を再開。ノルマを履行するために授業を夜遅くまで開講するものだから、しょうがなく運転免許を断念した。そうこうするうちに就職運動(当時は就活なんて言葉はない)を始め、バンドの部活も最後の定期演奏会で20分の自作をかけて終わった。
 卒業するや造船所で知らないことを習得する日々で、音楽どころじゃなかった。独身寮の二人部屋で「Mountain」をかけるわけにいかなかった。何しろ相方は埼玉の工業高専出身で「男はつらいよ」のタンカを諳んじるようなあんちゃんだった。彼とはほとんど話が合わなかった。
 そんな日々の中ではそれほど「はっぴい」でもない。彼は白金小から越境で青中、高校から立教で大学は社・観。多分卒業は1970年。

 小林信彦は今年末で91歳の筈だから、「今年90歳になる」といっていたことから見て、収録は去年のようだ。東日本橋の和菓子屋の息子だったらしいが、オヤジが潰した。どうもこのへんとか、京橋、日本橋界隈の連中はやたらと「本来の江戸の下町とはこの辺のことだ」なんていいたがってうるさくてしょうがない。あぁ、そうですか、それなら江戸の時代に戻ってお暮らしなさいといってやりたくなる。小林信彦もどちらかというと、こういうタイプ。
 戦後のバタバタ近代化の時代に生きてきたことを材料に暮らしていけるんだから、羨ましいといったら羨ましい。当時の放送業界とか、芸能関連業界なんてのは、普通に暮らしていくことができなかった人たちがどうにかして暮らした世界だから、怪しいというか、胡散臭いというか、型破りといえば聞こえは良いが、まっとうには生きられなかった人たちがたくさんいた。その流れは結構あとまで尾を引いていて、バブル真っ盛りになると、世の中のどんちゃん騒ぎに紛れてあちこちに点在していたといっても良い。
 NHKの「プロファイラー」が赤塚不二夫をやっていたけれど、マネジャーが事務所の金を横領してトンヅラこいたなんて話は掃いて捨てるほど蔓延していたし、怪しい連中が生きていかれるような世界だったが、それはきっと今でもあんまり変わっちゃいないだろう。ただ、そんな世界はもう知りたくもないし、COVID-19のおかげというべきか、歳のせいだというか、そんな世界を垣間見ることもなくなって、至極穏やかな日々だ。ただ、寒いのには往生する。