ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

どうしちゃったんだろう

牛島神社の狛犬が桜の前に

 来週になると、もうマスクは個人の判断で、しても良いし、しなくても良いんだって、事になるそうで、そうなりゃ公共交通機関を利用するのはもうやめたいと思っている。当然爺さん連中はマスクを外してくるだろう。そうなると感染の危険性は一挙に高まってくるだろう。
 そうなったら歩いていける範囲だけの散歩の日々にするしかない。週末は人がたくさん出るだろうからそっちの点からもでかけにくいしなぁ。一番痛いのは、隣の区の図書館までは歩いていくのは容易ではない、ってことだ。「メカスの難民日記」というみすずの本を探したけれど、やっぱり地元の図書館にはない。こういうなかなか手の出ない本こそ図書館なのに、それが所蔵されていないのがわが区の図書館なのだ。

 日本橋MARUZENにでかけた。シルバーパスが利用できるので、当然地下鉄で往復する。優先席コーナのある端っこの扉に乗るんだけれど、行きも帰りもその優先席は若者が座っていて、周りにどんな人が立っているのか、全く関心を示すこともなく、知らん顔をしているのには本当にがっかりする。自分が座れないからがっかりするのではなくて、周りの人たちに関心を全く示さない、ということにがっかりするのだ。日本橋の駅でエレベーターに乗ろうとすると、ベビーバギーを押した若いお母さんが来た。扉を押さえてあげると、「ウッ」と声を出した。多分これが彼女の挨拶なんだろう。次のエレベーターで彼女の後ろに並んでいると、もうひとりベビーバギーを押したお母さんが来たので、「私は急いでいないからどうぞお先に」と譲った。たいそう恐縮されていた。帰りの地下鉄は他が空いていたけれど、優先席には若い人がどっかりと座っていた。ジジババはなかなかいいにくい。Sydneyの電車には扉のすぐ横の席には「リクエストがあったら譲りなさい」と書いてあるが、日本では「譲ってもらえませんか?」という勇気のある爺婆なんぞは見たことがない。

 そういえば、Sydneyへ行ったばかりの頃、それを知らずに扉のすぐ脇に座っていたら、目の不自由な人が乗ってくるなり私の膝に座ろうとしたことがある。つまり、彼にとってはそこは空いているものだと思っているということだった。何度も書いているけれど、あそこでは乳母車を押したお母さんが階段に差し掛かると、どこからともなく、男性の手が現れてさっと手伝って階段をおりていく。それが日常になっている。
 日本でもかつては座席に座っている人が前に立った人の荷物を膝に預かるのはごく普通だった。「荷物、持ちましょうか?」というのは当然だった。中学から電車通学をしていたので、荷物を持ってあげたり、席を譲ったりというのは日常茶飯事だった。
 それを全く見ることがなくなったのは一体どういうことだろうか。なにがあったんだろう。あの頃に比べると、今の日本のほうが遥かに生活は楽になったし、生活レベルは上がっている。みんなが貧しさの中に暮らしていた頃のほうが相手を慮る心が明らかにあったということなんだろうか。こんな小さなことだけれど、なんだかわからないけれど、なにか釈然としない。

 さて、カメラの話だけれど、例によって、今日は古いLUMIX DCM-G3に45-200のレンズを付けて持って出た。私は四種類のレンズしか持っていないので、大したことはわからないんだけれど、こうしてみるとNikon Coolpix P-900という遥かに安くて、イージーゴーイングなカメラのほうが広角もズームも遥かに万能でいうことがない。これで画質さえ良かったらいうことはないんだけれど、世の中、そんなにうまくはいかないんだなぁという結論だった。