ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

その後の国立演芸場


 昨年の10月だったかで、国立演芸場国立劇場もろとも閉場となった。建て直すというのである。いや、どうよそれって。
なんで日本の建物は次から次へどんどんスクラップ&ビルドとかいってぶち壊してしまうんだろうねぇ。
挙句の果てにどうしようもないほどの、つまらねぇ建物にしてしまう。
国立劇場だって演芸場だって、どこが老朽化していたってんだろう。そんなの思ったこともない。
 で、さよなら国立演芸場なんていってたんだけれど、先月京橋の警察博物館(大体こんなものをこんなところにつくるな、桜田門に持っていけ)横の看板に「国立演芸場のポスターが以前と同じ様に貼ってあって、この1月中席のトリが金原亭馬生で、二つ目も馬久、馬太郎、小駒が入れ替わりで出ると書いてあった。今日はその馬久の日で、出演兄弟子は馬治。しかも世之介も出るってんで切符をネットで買った。コンビニで印刷切符に交換。
 どうやってその会場、紀尾井ホールに行ったらいいのか、見当がつかない。だいたい場所がわからない。紀尾井町なんて行く用事がない。どうやら上智大学の横の道を四谷の駅から淡々と行けばいいらしい。昔の知識だったら銀座線で神田へ出て中央線快速で四谷だよね。しかし、時代はあれから随分進歩していて何本も地下鉄が通っている。有楽町線で麹町へ出て歩くってのもあるし、春日あたりから南北線で四谷ってのもある。面倒だから、結局銀座線→中央線快速に乗った。そういえばこのルートは24年前に毎朝乗った経路だ。あの時は快速で武蔵境まで一直線だった。前の晩宿題が終わらずに眠い目をこすりながら電車の中で宿題をやっていたこともある。今日は昼過ぎの電車なのに、沢山の人達が立っているという電車の混みようだ。そんなに平日の昼日中に移動する人がいることに驚く。
 
 紀尾井ホールというのはなんでも日鉄の所有で、「公益財団法人日本製鉄文化財団」が運営をしているんだと、初めて知った。へぇ〜!リーディング・カンパニーってのはやることが違うんだなぁと今更ながら驚いた。新日鉄という会社は八幡と富士が合併してできたわけで、1995年に創立20周年だといってこれを作ったそうだ。800席の大ホールと250席の小ホールがあって、もちろん今日は小ホール。その八割ほどの入りだろうか。もちろん当日券あり。おじいさん、おばあさんが集まっているんだから中入りのトイレは大変だ。そんなに数があるわけじゃないからね。

 前座が高座に上がるかどうか、というところで到着してみると私が買った前から4列目の一番左の端ってのは、先の国立演芸場のように通路に面しているんじゃなくて、人の前を横切って入らなきゃならない。そこへぐでぇ〜と身体を横たえた様に座っている爺さんがいて、なかなか思うようにならない。小さなノートを出してはメモっているので、多分彼はうちへ帰ってからなんかに書いているだろう。
 前座は林家三平の弟子で、林家たたみという。「寄り合い酒」をやった。懐かしいねぇ、高校の落研でこれをやったことがある。それだのに一年下の小柳くんは「死神」なんぞをやりやがった。
 馬久が出てきた時に「お誕生日おめでとぉぉ」と声をかければよかった。与太郎もの「近日息子」。大分良くなってきたねぇ。こっちが生きている間に真打ちに上がるかねぇ。

 「ホームランたにし」って一体誰のことだろうと思っていたら、出てきてすぐわかった。相方が二年ほど前に亡くなってしまった漫才の「ホームラン」の勘太郎の相方だった。内海桂子・よしえの桂子、昭和のいる・こいるのこいる、春日三球・照代の三球、あした順子・ひろしの順子とか、売れた漫才も相方に死なれちゃうと苦労するよねぇ。たにしが静岡の出身で、安倍派の座長である「塩谷立」が高校の同級生だっていう。え〜っ!というんで調べたら、なんと静岡高校の出身だ。静高といったら静岡じゃ、県下一の進学校だよ。静高出身の芸人がいるとは思いもよらなかったなぁ。

 
馬治の「片棒」も世之介の「堪忍袋」も実に彼ららしい噺でやっぱり彼らをこの先も追いかけたいね、という気にさせる。巧いというか、聞き惚れるねぇ。
マジックの間にまたもトイレに立つ。なさけない。
そして馬生は「芝浜」だった。どこかで聞いているよね、馬生の「芝浜」は、と思ったんだけれど、それは多分、ここ数年行けなかった年末恒例の鈴本での馬生独演会という名前がついている一門会でのことなんだろうなと。そういえば三木助の名前が見当たらないねぇ。