ほぼ足りてまだ欲 その先

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終日籠もる

 現在のテレビ東京が開局した時は「日本科学技術振興財団テレビ事業本部」といったんだそうで、愛称が「科学テレビ 東京12チャンネルテレビ」だったんだそうだ。1964年4月12日のこと。そんな昔だったような気がしない。ついこの前増えたんだろう、ぐらいの印象だ。


 その東京12チャンネルで1964年の開局と同時に始まって10年間続いたのが、三國一郎が司会するインタビュー番組「私の昭和史」である。この番組が放送されていたのはもちろん知っていたけれど、番組は実に地味で、淡々と一般の人がインタビューに答える番組だから当時高校生や大学生だったこの私が真面目に興味津々で見ているわけがない。今頃になって、貴重な資料だよなぁと思いながら、番組を書籍化した全6巻を読んでいる。最初は1969年に學藝書林から出版されたもので、登場人物は380人にのぼる。1984年に旺文社が文庫化し、1989年に今度は文藝春秋が文庫化したもの。私が持っているのはもちろん文春文庫版。古本屋から集めた。ここのところ読もうと思ったら第5巻が本棚に見当たらなくて(多分平積みになっている本の中に埋もれている)しょうがないから隣の区から學藝書林版を借りだした。(掘れば確実にあるのに。)


 米軍に占領されてしまったサイパンの飛行場に重爆で強行胴体着陸して、敵を攻撃するという義号作戦。義烈空挺隊何人もが搭乗し、着陸してすぐに泊まるために車輪を出さずに胴体着陸をする。瞬時に期待から何人もの兵が四方八方に散開して敵の航空機にダメージをあたえるという計画。しまいにはB29も取ってきてしまおうと考えたらしい。経由地の硫黄島が占領されてしまって、次は沖縄の占領されてしまった飛行場を狙う。そんなうまい具合に事が進むはずもない。この回にインタビューに答えたのは、隊員でありながら飛び立った重爆の片方のエンジンが停まってしまい、帰還して生き延びた、和田曹長。そして新婚4ヶ月、お腹に娘がいて、出撃していった長谷川曹長の奥さんとその娘さん。

 義烈空挺隊についてはロバート・レッキー著、児島襄訳、「日本軍強し」(1965年恒文社)に触れているそうだけれど、図書館に見当たらない。古本屋では高価で出ているらしい。