ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

つかの間の晴天

 天気予報によれば、これは全くの束の間の晴天だそうで、明日の夜になるとまた雨になるっていうんだね。
去年の今頃だったらもうとっくにソメイヨシノは満開だったわけで、今年はずいぶん遅れを取っている。
しかし、昔に比べたらずいぶんいろいろな桜があちこちに植わっているので、そういう桜が前座興行を務めてくれているのであんまり困らない。河津桜、寒桜、オオカンザクラ、オカメサクラ、サトサクラ・・次から次に咲いてくる。しだれ桜にポツポツと花が開きだした。



 上野の池も、春休みになったからか、整備工事が終わったせいもあって、池一面にボートがでていて、やたら賑やかだ。子どもたちが漕ぐボートはスワンも手漕ぎも節操がない。これじゃ鳥たちもおちおち寝ていられない。だからなのか、ボートが制限された場所だけじゃなくて陸地にまでカモメが団体で集まって温まっている。水に浮かんでいないとカモメの水兵さんに成らない。鴨がしきりに羽をバタバタさせているのは、久しぶりにおひさまを浴びているからかも知れない。

 バス停にやってくると、こちらも春の日差しに陽気になったのか、いろんなおっさんがいる。あっちの停留所では、何やら大きな声で独り言をいっている。「AIが発達してきているんだから、それを使えば良いんだよ!」となにかに文句をいっている。こっちのバス停では、爺さんがデパートの紙包みを持ったおばさんにしきりに与太を飛ばしている。
「あんた、なんで松坂屋っていうのか知っている?昔はこの辺は松林になった坂道だったんだよ。(おいおい、松坂ってのはそもそも創業者が伊勢松坂、今の松阪の出身だったからだろうが)
 わたしはねぇ、昔は今の皇居のところに住んでいたの、うん、もう380年生きてんの(じゃ、徳川の系統なわけだね)。今の人達は可哀想だよねぇ、せいぜい生きても百年でしょ?野菜だって農薬まみれのを食べているんだし、肉だって薬漬けの肉でしょ?それじゃ長生きできるわけないよねぇ(この辺はかなり正しいけどね)。」この辺でバスが来てしまってそこから先はどんな展開を迎えたのか、追いかけなかった。それにしても相槌を打ってくれていたおばさん、偉い!爺は話をする相手を求めているんだろうなぁ。それにしても、これだけ荒唐無稽なことを言い放っていると、続けて聞いてくれる人はいなくなりそうだ。

斎藤秀三郎

 1896年(30歳)、10月に神田錦町に正則英語学校(現・正則学園高等学校)を創立して校長。(ウィキペディアより)
芝公園にある正則高等学校とはなんの関係もない。)
 彼の出版物のひとつが『熟語本位斎藤英和中辞典』である。私の手元に残っているのは岩波書店から出版されていた新増補版で、奥付を見ると1936年3月15日第一刷発行、1962年2月10日第19刷発行としてある。斎藤英文法の集大成の一つといわれている。私は中学3年生のときに「大下英学塾」という英語の塾へ通いだし、その時に指定されて買ったもので、その年がまさに1962年で、その頃普通に売っていたもののようだ。この辞書は今でもCS-ROM付きだったり、電子書籍だったりして売られているそうだ。
 この塾ではこの他に「ヤマザキ」と通常呼んでいた参考書が使われていたが、それはもう手元には残っていない。以前にもこの本については触れたことがあるけれど、それが2008年に復刻されたという研究社から出ていた「新々英文解釈研究」だった。
 なぜ、突然こんな話になったか。
 夜中のテレビを付けたら、NHK Eテレで1993年5月に放送されたという「小澤征爾 日本人と西洋音楽」を放送していて、小澤征爾が「斎藤秀雄先生のお父さんという人は斎藤秀三郎といって・・・」といったんだね。私はここでこう繋がるとは全く思ってもいなかったから、不意打ちを食らったようなもので、思わず夜中過ぎにもかかわらず、声に出して「あっ!そうなのか!」といってしまった。この番組での小澤征爾の話を聞いていて、じゃ、日本のオペラも聴きに行ってみようかなぁという気持ちにもなったけれど、とにかく切符が入手しづらい上に高すぎる。