とうとう14年間使ってきた〔その前の機種は何年だっただろう?〕ガラパゴス携帯電話を諦めてスマートフォンに転換することにした。一大決心である。常に鞄の中にはiPadを入れているから電話は音声がとれるだけで良かったし、そのガラパゴス携帯電話ですら、鞄の中に入れっぱなしなので、反応することがほとんどなかった。ほぼ万歩計と化していた。みんなからは顰蹙を買っていた。あいつに連絡するには家の電話にかけるしかないと。それでなにがいかんの?と思っていた。バンドや昔の仲間のLINEグループにはタブレットで対応できていたし、それほどこっちは困らない。つまりタブレットは音声電話をかけられないだけで他はスマートフォンと何ら変わらなかった。
何がきっかけでやっぱりスマートフォンにするしかないかと思ったかというと、近頃、タブレットには対応しないスマートフォン用のアプリケーションが目立ってきたからだ。例えば、スシローやABCmartといった商店のアプリケーションは、タブレット上で動くけど、スマートフォンサイズにしか表示されない。一時期デルタ航空はタブレット用アプリケーションをやめてしまって、スマートフォン用アプリだけになった。StubHubやticketmasterといった米国の各種切符の二次販売店〔米国では主催者が直接売ることもあるけれど、ほとんど全ての音楽イベント、スポーツイベントもこうした二次販売店が売り買いのプラットフォームとなっている〕は切符の受け渡しをスマートフォン用のアプリケーションでダウンロードするシステムになっていて、タブレット用には開発していない。なんだか傲慢なような気がするんだけれど、傲慢の先には、米、加以外の国ではそのアプリケーションすらダウンロードできない。つまり、外国の観客は相手にしていないと公言している。それでいながら、日本法人ができていて、それなら良いじゃんと思ったら、なんと切符をたぐっていくと、米国アプリケーションに到達してしまって、元の木阿弥になってしまうと云ういい加減さ。「なんだ!米国サイトに繋がっちゃうじゃないか!」とメールを入れたら「お気の毒様!」みたいな反応となって返ってきた。これもまたトランプがいけない風潮を作り出しているんだと、私は思っている。
とりあえずiPhoneをアップルのサイトから買って、mineoというキャリアーのSIMを買うことにした。これまでのガラパゴス携帯電話の番号を踏襲しようとMNP=Mobile Number Portabilityなるものを取得しなくてはならないというので、docomoに電話を入れた。いっかな繋がらない。ようやく繋がったと思ったら、コールセンターのお姐さんは実に木で鼻を括った対応である。ま、携帯電話業界では当然みたいだね。いつまで経っても肝心な番号のところまで到達しない。もう、端末を入手したのか?とかどこのキャリアーに移るんだとか、お前の知ったこっちゃない質問を繰り出した挙げ句に、あれにこれだけ金がかかる、これにもかかると、覚悟しておけよ、ざまあみろ的な宣告。挙げ句の果てに、その費用の請求書は20日過ぎに送るが、紙で欲しいなら100円払えとか、手数料が2,200円かかるまでは、はい、はいと聞いていたんだが、解約料が3,300円だというのは驚いた!まてまて、1,000円になったんじゃないのか?と聞いたら、それはスマートフォンの解約料で、ガラパゴス携帯電話は3.300円なんだと仰るのだ。お〜い、菅!話が違うじゃねぇか!
とにかく携帯電話業界は伏魔殿で、やりたい放題になっている。やれやれ、嫌な時代になったなぁと思わずため息だ。
残り三ヶ月
ラグビーはどこの会場も超満員で、日本にこんなにラグビーファンがいたのかと、驚くばかり。日本代表チームは「One Team」と云うことを云っているけれど、良くラグビーでは「One for All、All for One」ということをいわれている。この言葉は大変に面白い言葉で、概ね多くの場合は間違って使われていると思っている。ひとりは全体のために犠牲になり、全体はひとりひとりの犠牲の上に成り立つ」だと解釈している人が大半じゃないだろうか。少なくとも私にこの言葉を提示した人のひとりはそんな意味で云っていた。だから、私は反発した。企業組織ではこれではすぐれたシステム、あるいは商品は生まれてこない。この言葉は役所のフロントのような、普遍的な項目を普遍的に運営する場合には当てはまるかも知れない。しかし、クリエイティブな状況では、むしろ成果を貶める。
という言い訳をして、売れないことの理由にしていたのかなぁ。
ネット上で読んだんだが、人間が死を迎え、心臓が停止して血液を送り出さなくなっても、先の方の血液も瞬時に消滅するわけではないので、脳細胞は徐々に停止していくという。だから、死の直後、周囲の会話を聞き取れていても、別段おかしくはない。一旦心臓が停止して後、奇跡的に死の淵からよみがえってきた人たちの話の中で、周囲の状況がわかっていたという証言があるのはそういうことだというのだ。どういう意味があるかといったら、いくら嫌いな奴だったとしても、心臓が停止した直後に「ざまぁみろ」なんて云わない方が良いってことだな。ちょっと意味を取り違えているかも知れないけれど。
1975年の5月に静岡の工場から東京の本社に転勤になった。それまでは会社へ歩いて10分の社宅から歩いて通っていた。転勤初日に、横浜の実家から東京駅まで出勤するのに、あまりの混雑ぶりに恐れを抱き、すぐの電車に乗れず、多分次の東海道線に意を決して無理矢理乗り込んだ。さすがにこれに耐えられるような気がしなかったので、事務所から地下鉄を乗り継いで30分で帰ることができるところに狭いアパートを借りることにした。しかし、この種の通勤電車が今ではゆっくりと乗ってこられるという話を聞かないんだけれど、この国は何かが良くなるということはないみたいだよねぇ。もうあれから45年が経とうとしているっていうのになぁ。
私は本当は食に関しては鈍いんだと思う。多分味覚についてほとんど語るべきものを持っていないんじゃないかと思う。だから逆に日本から離れて他国にいても、日本食がなくてもあまり困ることはない。一切日本食を食べなくても3週間も4週間もやっていける。ま、できることならば世界中どこへ行っても必ずある中華飯があれば良い。それがなければそれでも良い。フリーズドドライのみそ汁やら、お粥やらを持っていく人もいるけれど、私はそれも持たない。たまさか現地のスーパーでカップヌードルを買って食べたこともあるけれど、必ず美味しくない。美味しい日本食を食べようとしたら、普通の値段では食べられないんだから、敢えてそんなものとか、全くの偽物と云って良いようなローカライズされた日本食なんてわざわざ食いたくない。本当のことを云うと、美味しいパンと果物と美味しい珈琲があれば、概ねまかなえるのだ。「美味しい」というところが味噌なんだけれどね。
20190929
昨日あんまり寝ていなかったから、じっくり眠れるだろうと、23時半頃に寝た。01時頃に猫がトイレをかりかりする音で目が覚めた。それから眠れなかった。
私たちの親世代はもちろんあの戦争の前後をくぐり抜けてきたわけで、空襲のことも良く覚えていた。花火を打ち上げるときの「ヒュー」という音は焼夷弾が落ちてくるときの「ヒュー」という音に似ていて、ぎくっとすることがあるとか、ディズニーランドに行ったときに、空に向けててらすサーチライトの明かりが高射砲の部隊が敵機を探すサーチライトを思いだしたというような話はごく普通に聞いた。こんな話すら、もう今の若い世代は全く知りもしないし、そんなチャンスがない。そうやって、どんどん希薄になっていく。その薄まり方がとんでもない発想を生み出しそうで怖い。それでもそうやって考えると、人間なんて、相当に愚かな生き物でしかない。
ラグビーの代表選手の条件として、継続居住3年で他の国の代表には選ばれていない選手というのがあるけれど、これが今後は10年になるんだそうで、実質的に「帰化」と同じことになるという。となると、今回のようなわけにはいかなくなるわけで、そうなると、どんどん国粋主義的になるんじゃないか、このゆるさがあっさりとした代表チーム意識となって良い結果を生んでいるんじゃないのか、ということを云っている人がいる。サッカーに比べると様々すっきりした感じがするのはそんなことが要因だと云っても良いのかも知れないなぁ、と思うようになってきた。もっとも、サッカー選手に比べたら驚くほどのお金にはならないところが、全ての要因かも知れないな。考えるところ多々あり。
新聞屋さんが購読料の徴収にピンポンピンポン鳴らしたので、昼寝を妨げられ、やれやれとトイレに入っていたら、こんどはAmazonがピンポンピンポン鳴らし、おちおちトイレにもいられない、そんな昼下がりだったのに、アップルに注文したものは、注文時に今日配達だというのに、なんにも音沙汰がない。夕方になってメールをチェックしたら、「発送したから明日着く」といけシャーシャーと言ってきた。クロネコのサイトで番号をチェックすると、そんな番号は登録されていないと出た。システムはできていても、ちゃんと人間が作業しないと機能しないというまったくAIとはほど遠い事態に目が眩む。
雑感
国交
中華人民共和国という共産党独裁国家はただただ中華民国を追い詰めるだけのために、ソロモン諸島やキリバスという太平洋の貧しい国を、札束でほっぺたひっぱたいで国交を開く。アフリカでも、あちこちで、金をばらまいて、中国の影響力を誇示している。思想の貧しいものはそれまで持ったことのない札束を手にしてしまうと、自分が負けてしまっていたからこそのその力にことさら意味を見いだすようだ。あのバブルの頃のわが国も正にそれだった。カリフォルニアくらいは買い取れると豪語していたことをもう忘れたとは言わせない。中華民国は独立した国家であるが、中国共産党はまだ、彼らの存在を許す気がない。国民党国家はとっくにそこから民主化された国家になっているが、中国共産党が中国共産党である、その根拠は、中華民国を潰すまで忘れないつもりだ。それでも、台湾それ自体は、国民党に占領されてしまった島であるという複雑さは今でも忘れるべきではないだろう。
病院再編
厚生労働省は26日、全国の公立病院や日赤などの公的病院のうち、診療実績が乏しいなどと判断した424病院に統廃合を含めた再編の検討を求めることを決め、病院名を公表
年寄りが増えて、医療費が増大するから、それを抑えるために病院を再編するというわけでこのリストにあがった424病院を単に再編だけでなく、病床削減も視野に入れる改革だという。誤解を怖れずに云うと、これで医療からはじき出されるケースが出てくることだろう。目先の効果のために国民を追いやるという政策を厚生労働省は随分たくさん繰り出してきている。要介護1および2を認定された高齢者への支援を切ろうとしている政策を見たら、厚労省の方針は「姥捨て」政策と云っても良い。2000年の福祉構造改革はもはやほとんど崩壊に近い。こうなるぞと警告を発していた努力はことごとく無に帰している。
いきおい
勢いってものがあるんだね。文章にも勢い、行動力にも勢い、人との議論にも勢い、がある。どうもそういうものが湧き上がることがどんどん少なくなっていくのが加齢って奴じゃないか、という気がするんだね。今日なんてその典型的な一日で、ま、外が天気が良くて、出ていくと暑そうだというのもあるけれど、夜明けの東の空がとても綺麗だったんだけれど、それを見たら寝てしまって、そこからずっと勢いがない。そういえば相撲取りの四股名の「勢(いきおい)」ってのは思い切った命名だなぁと感心したね。一体誰の発想だったんだろう。多分その人はなにか、思想的にも見るべきものを持っているような気がするなぁ。
ブラブラしながら、テレビでNFLの「Thursday Night Football」を見ていたら、7点差でPackersがEaglesをおいかけている状態で、もう4Qだった。どうせAaron Rogersがここぞと云うときにビシッとパスを決めて逆転勝ちなんだろうと見ていたら、その最後のビシッでインターセプトされてしまい、3勝1敗だ。
床屋
床屋といっても、私が行っているのは、1,100円の床屋。しかし、その床屋へ行く前に、昼飯をどこかで食べようと思って、わざわざ家で食べずに出た。さて、どこで食べようかと考えるんだけれど、外で食べるのに、私が持っている選択肢というのはそんなに多くないわけ。ここのところしばらく行っていないから、京橋まで出て、三州屋銀座一丁目店かなぁ、それとも、三越前で外に出て、寿々木のカツ丼かなぁと思いながら駅まで来る。ICカード160円ちょっとでいける限界は京橋だからと、三州屋にした。
午後1時20分くらいだった。入ってすぐのテーブルが開いていたのでそこは座る。丁度おばさんがその辺にいたんで、大きく口を開けて「海鮮丼」と言った。「はぁい」といいながら奥へ行ったおばさんは厨房の前で「刺身いっちょぉぉ」と言った。あれあれと思っていたら、これまで見たことのないお姐さんが「海鮮丼でしょ?そうですよね」と途中から私の方を見ながらいった。私はウンウンと頷いて事なきを得る。ところがお茶、醤油皿、漬け物、箸がきて、さっそく海鮮丼がトンと置かれたんだが、ナメコみそ汁がいっかなこない。しょうがない、「すみませぇぇん」と声を上げ、小さな声だけれど大きく口を開けて、「お・わ・ん」といった。蓋が乗ってやってきた。だから、今日の写真にはお椀が写っていない。あっつあつのなめこ汁は好きなんだけれど、爺さんが口からヌルッとつなげていたら汚いなぁと思われるだろうからと、結構気を遣うのだ。
アップルに寄ると、外に人の列ができている。そりゃなんの列なんだろうと、お姐さんに聴くと、iPhone-11とアップル・ウォッチを買う人の列だそうだ。まだそんなに人が押し寄せているのか。返す返すも、20日の11の売り出し前に行って、iPhone-7を買っておけば良かった。今のガラケーの番号をそのまま持って他のキャリアーに切り替えて、なおかつスマホに乗り換えるのはなんだか難しいらしくて、どうもドコモの予約番号をとっておかなきゃならない、なんて書き込みもある。こんな面倒なのかと思うと、自分のものだけではなくて、つれあいのガラケー電話をスマホにするのも結構面倒くさい。ドコモに入って聴こうかと思ったら、こちらも長蛇の列だ。要するに増税前の駆け込みなんだろうか。増税なってすんなよ!この不景気なのに。どう見たって、好景気なんかじゃないだろうよ。
Coyote No.68 特集:山は王国 SWISS ALPS FOR BEGINNERS
- 作者: ガストン・レビュファ,山野井泰史,ハインリヒ・ハラー,ウーリー・ステック,辰野勇
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ちょっと前から気になっていた本で、著者が必ずしもキリスト教徒ではないところが気になるのだけれど〔そういう場合概ねネタとしてキリスト教を語る手合いが多くて閉口する)、場所が場所だし、ちらっとまえがきを読んだら、フランダースの犬のネロは最後の審判を下されたわけでもないのに、どうして天国に行くと書けるんだ、というくだりに気を引かれたことでもある。ひょっとするとここは死人に鞭を打ってはいけない日本文化がそうしているんじゃないか、という気がしないでもないけどね。もっとも極楽浄土にいった人がどうしてお盆に帰ってくるんだとも書いていて、こりゃ研究者としても面白い人かも知れないと思ってしまった。さて、どうでしょう。
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冗談音楽の怪人・三木鶏郎 :ラジオとCMソングの戦後史 (新潮選書)
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帰りのバスに乗った50代の夫婦とおぼしき二人連れが最初っから最後までスマホでゲームをそれぞれやっているのを見ていたら、スマホなんて高いおもちゃだなぁと再認識した。
二日酔いは病気か
フランクフルトの裁判所で、「二日酔いは病気である」という裁決が降りたのだそうだ。
今日はその病気。うつらうつらを繰り返しておったという、非常に充実した一日だった。
その昔、もう20年くらい昔のことだけれど、Sydney郊外に暮らしていたとき、近所のウールワースというスーパーマーケット〔豪州のスーパーマーケットはこれとColesという二つのチェーンしかなかった〕のレジで前の母親と娘がベルトにだらしなく買い物を並べていたので、つい、ギャロンの牛乳をもって前に押し出した。するとその母親がその牛乳を買い物のベルトから外した。汚いアジア人が触ったからもう要らない、というような雰囲気がにじみ出ていた。私はあっけにとられて呆然としていたのだけれど、ハイティーン〔言葉が古いな〕の娘が突然大きな声で「マーム!もうやめてよ、そういうことするの!」と怒鳴った。あっけにとられていた上にますますあっけにとられた。事態はそれ以上に発展はしなかったんだけれど、未だにあれはどういう意味だったのかと、いぶかしい。
本当に人種差別だったのか、あるいは宗教的な問題だったのか、はたまた潔癖症的心理の問題だったのか。しかし、潔癖症の人はスーパーマーケットなんかで買い物できないよねぇ、棚に到達するまでに何人の人が触ったことか。やっぱり差別だったのかなぁ。