ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

あれから60年

f:id:nsw2072:20191201031024j:plain:w360:left  今、なんの唄を歌うにしても、そのkeyが気になる。低い方はまだしも、気になるのは高い方だ。昨日の音合わせで、多分原keyでは出ないと思うので、ちょい下げのkey変更を覚悟していて欲しいと伝えていた。部屋で口先で唄ってみて、これはちょっと無理かも知れないと思ったからだ。しかし、音合わせの現場でやってみると、何ということなく、これが出た。10年以上昔に唄ったことがある曲だったのだけれど、多分あの時は下げたんじゃないか、と思っていた。原keyでこともなく出たのは、これは多分あのヴォイストレーニングのおかげじゃないかと思う。普通だったら加齢と共にkeyを下げるのが当たり前で、それを無理矢理に原keyで唄っても聞く人に気の毒なだけだ。ありがたいことに、楽器の皆さんにご迷惑をおかけすることなく、そのままの譜面で事が済んだ。
 60年前、小学校6年生の時に、たった一年在籍した小学校で学校の合唱隊に入れてくれたことがある。多分当時から歌う声が大きかったからだろう。音楽の時間にひとりひとり前に出て唄うということがあって、もうすでに人よりも大きな声で歌っていた。合唱隊に入ったことで、結構本人はその気になっていた。地元の放送局が主催する小学生歌コンテストみたいなモノが開かれて、何人かの生徒と一緒に参加することになった。歌う唄は、元はといえばイギリス民謡で、日本語の歌詞がついた「とうだいもり」という歌。イギリス民謡ということになっているけれど、メロディー自体は聖歌ではないかという。つまりボーイソプラノを歌うことができていた、ということだ。ところが世の中そんなに旨く行くわけはない。そろそろ私は声変わりに近づいていたらしい。学校で唄っていた時は難なくこなしていたのに、当日会場に行ってみると、なんと上の声が出ない。緊張していたのか、既に変声を迎えていたのか。もちろん、箸にも棒にもかからない。あえなくそれで話は終わってしまった。その後、人前で唄うチャンスは高校になるまでやってこなかった。あの時、まだ変声を迎えていなかったら、人生は変わってしまっていたのかも知れない。そういう意味ではこれで良かったのかも知れない。今になって楽しい歌を唄えているんだから。

こおれる月かげ 空にさえて
真冬の荒波 よする小島(おじま)
想えよ とうだい まもる人の
とうときやさしき 愛の心

爺さんは引退せよ

全国高校選抜北信越大会で、県協会の下池新悟会長が「石川県には五輪の内定者が2人(梨紗子(25)=ジャパンビバレッジ=と62kg級の妹・友香子)います。しかし、残念ながら女です」と発言したといわれている。(2019年11月28日 6時0分スポーツ報知)

 当の会長はこの発言を否定。石川県には県レスリング協会の他に金沢市レスリング協会という団体もあって、両社は対立しているんだといわれている。
 川井選手の父親、川井孝人は日体大の出身で、石川県高等学校体育連盟レスリング専門部専門委員長という肩書き。母親初江さんはやっぱり女子レスリングの選手だった方で、今は「金沢ジュニアクラブ」のコーチだという。
 県協会の会長が「こんなことを言っていたら昔だったら父親はクビだ!」なんという発言までしちゃっている。テコンドーやボクシングのあの人たちと比べられてしまうんだろうが、いかんせん、あまりにも価値観がずれてしまっている。こんなに様々なことが大きく変化する時代にあっては、なおさら価値観のずれは大きい。

いらん

 NHKのテレビ番組で、NYCのスーパーマーケット、Zabar'sの二階で売っているベーグルスライサーとか、ベーグルが焼けるトースターのくだらなさに大笑いしたね。包丁とオーブントースターがあればそんなもんいらんもんね。「おっされぇ〜!」なのかも知れんけれど、とにかくアメリカ人はそんななくても良いものを考えるのが好きだね。不器用だからという話もあるけれど、ニッチな商品、といっているうちにどうでも良くなっちゃうんじゃないのかねぇ。
 スタイリーを始めに様々な身体メンテ機械を宣伝してきたし、ミキサーみたいなので、ふりかけもできます!だったりするけれど、なくてもなにも困らんの。それにのって買ってきちゃうからねぇ。
f:id:nsw2072:20191130062615j:plain:w360:left うちにはトートバッグが山のように、というか、山になってある。どこかで見ると、すぐさま2ドルとか5ドルとかで買ってしまう。どうしようもないところではNYCの古本屋のこれはまた随分丈夫なトートバッグまである。なぜか、この古本屋は本が遙か天井まで棚にのっているのはともかく、次から次にトートバッグの類いを新たにデザインしては売り出す。これがまた洒落ている。密かに持ち帰っては、とぼけた顔をして、そのトートバッグの山の中に入れておくと、しばらくはばれない。なにに使うのかといえば、目的に応じた使い分けをする。カンツォーネのサークルへ行く時はこれまでの楽譜を全て持っていく。だから頑丈なモノでないと困る。バンドの練習には打楽器やマイクを入れているトートバッグがいる。
あれ?もう今やそれだけかな?前はカルチャーセンターや講義を聴きに行く時用の道具を入れているものもあった。
 欧州の教会でも物販に積極的なところなんかだと教会のトートバッグまで売っている。この場合は献金のつもりで購入に及ぶ。美術館には確実に売っている。ところがこの類いはどうも女性をターゲットにしていたりして、爺さんが持つとまるで似合わないものが多い。オペラハウスのショップでもそうで、多くのモノが女性向けにデザインされている。まるで男はほとんどそうした類いを買わないと決めつけているかの如くである。それはチト早計だと云っておきたいのだけれど、多分誰も気にしない。

練習会

 来週おさらい会があるので、今日の練習にはテノールの先生にもご出席戴いた。先週は本番だったといっておられたけれど、どうも風邪を引かれていたようだ。おさらい会に先生は「トスカ」の中の曲を唄って下さるということなんだけれど、とってもとっても難しい曲で、聞いているだけで、こりゃどうやって習得するんだろうかと不思議だった。オペラの歌はほとんど素人にはきっかけすら難しい。
 できるだけ、ほとんどのカンツォーネ系の曲には加わって唄おうと思っている。
 男性のおひとりが突然「カタリ カタリ Core 'ngrato」を無伴奏で歌い出し、みんなにこれを歌いたいとアッピール。驚いたなぁ。誰がなにを歌おうとウェルカムなんだけれど、こんな難しい曲を突然来週人前で唄うといわれても、どう取りなして良いのかわからない。次の機会にちゃんと譜面を用意して、ピアノの伴奏もつけてやったらどうですか、ととりなす。こういう歌は唄えたら気持ちよいのは私も知っている。彼は歌詞を暗記して唄っていたんだから多分どこかで練習してきたということなんだろう。だったらもっと早く云えば良いのに。

 こういう曲のカラオケってないのかなぁ?と思ったらパヴァロッティ・スタイルがあった。

見る目

f:id:nsw2072:20191129040136j:plain:w360:left 私は芸術作品を見る目がないので、少なくとも抽象的なアートは全くの話、どうひっくり返しても理解ができない。例えば、黄金分割のキャンバスを二分の一に塗り分け、その残りは四分の一に塗り分け、その残りを八分の一に塗り分け・・・と塗り分け続けた絵画をどうやって鑑賞すれば良いのか、なにを良いと思えば良いのか、わからない。わからないから、そのまま放り出す。美術館でそういう作品に遭遇した時は、一応見るんだけれど、なにもこころに抱えずに立ち去る。印象にも残らない。インキュベーターはなにをそこに見いだしているのかが全くわからない。しかし、名にし負う超有名美術館に飾ってあるんだから、何かあるはずなのにね。乗り遅れ感が漂うけれど、なんのインプレッションも持たないんだからしょうがないじゃん。
 それと同じくらい、切り取った画面が印象深ければ、私は感銘を受けてしまう。つまりものの見方が写真になっているのかも知れない。写真では表せないのが抽象画、なんじゃないのかな。だから、眼を切り替えなくちゃならないんだろうなぁ。

WIFIルーター

 友達のパソコン、その続き。
 OSを10.8から一気に10.15にアップするのはできないとわかったので、とりあえず10.11にアップすることに成功した。すると、全くの初期設定となる。えっ!そうなんだ!と焦る。というのは、私の機械はバージョンアップしているけれど、そんな初期設定からやり直した記憶がない。ましてやwifiをやり直すなんて。
 ということでなんとシステム環境設定でネットワークを設定し直さないとならない。そうしないとネットに繋がらない。で、WIFIルーターの設定をやり直そうとしたら、もうルーターのハードそのものはもちろんあるけれど、データーの類いが一切なくなっている。認識しない。しょうがない、ルーターを変えよう、とビックカメラに行って4,500円のELCOMのものを買った。
 持って帰って設定しようとすると、らくらく引っ越し機能とかいっているんだけれど、全然繋がらない。どういうことかな。ひょっとするとOS10.11では対応していなかったりする?
 非常に困った。なにしろ本人は全くわからないのだから。弱るのは横にいて、機械が動かないとすぐさま「あぁ、壊したな」ということかな。
そういえばうちのルーターはどうなっているんだろう。少なくとも繋がっているけれど。

ひとり

f:id:nsw2072:20191128040917j:plain:w360:left 東京都に暮らしていると、70歳を過ぎると、都営交通機関のシルバー・パスを入手することができる。なぜかこれは9月に書き換えられる。これは東京都の交通局が発行しているのかと思ったら、全然間違いで、一般社団法人東京バス協会というところが発行している。前年の区市町村民税が「非課税」で、2年前の合計所得金額が125万円以下だと年間千円で入手できる。それ以外の70歳以上の人は20,510円を払うと入手できる。ある意味応能負担になっているという点がよく考えられていると思う。
 一般社団法人東京バス協会というのは、「東京都内を運行する一般乗合バス事業者が全社加盟している唯一の公益性を有する一般社団法人」という。
 今や日本維新の会参議院議員になっている、あちこちフラフラしている音喜多駿という男がこの制度はいらないと主張していたことが思い出される。
 バスの他にも交通機関がある路線はまだしも、バスしか交通手段のない地域に行くと、このバス券は非常に重要なものになっている。国立社会保障・人口問題研究所の発表によれば、2015年に1841万だった一人暮らしの世帯数は2040年には1994万世帯まで増え、全体の39.3%になる見込み。高齢者の一人暮らしは2015年の625万世帯から896万世帯まで4割以上増えるだろうといわれている。
 どんどん高齢者は増えるばかりで、人口全体に占める割合は増える。なにしろ特殊出生率は1.42程度に下がっている。2.0を超えなくては人口は増えないわけだから、どんどん全体人口が減少する。その中で、高齢ひとり暮らし世帯は増えていく。
 こういう地域を走るバスに乗ってみると良くわかるのは、ひとりで乗ってくる高齢者がほとんどで、着古した衣料を多分来たきりで暮らしているのかも知れないなぁと思わせる人も多い。知らない人になにかを働きかけたいなと思っている人も目につくけれど、それは往々にして空回りをして、周囲から結果として浮き上がる。他人との接し方をもう忘れてしまっている人たちもいる。こういう人たちを見ると、このシルバーパスがなかったら、彼らはもっともっと限られた空間でしか、暮らすことができないんだろうなと思わせる。
 独居老人にとって、とにかく外へ出る、という気になることが必要だ。と、こう書きながら自分が部屋をなかなか出ようとしないことに気づくわけだけれど。
 このシルバーパスができてからバスを乗り継いで長い距離を移動しようとしている高齢者を見ることがある。東京駅から池袋駅まで行くのにバスを乗り継いでいるお婆さんにバス停を聞かれたこともある。高齢者にとっては鉄道は地下鉄も含めて、乗り降りが厄介なのだ。とにかく階段を上がり降りしなくてはならないし、もちろん費用もかかる。バスなら、低床バスでなくても、ステップを上がり降りするのは2-3段でしかない。運良く丁寧な運転手さんに遭遇すれば、焦らなくてすむ。時間は大変にかかるのだけれど。
 私はまだ都営地下鉄に乗るのをトレーニングのひとつだと思っている。階段をそんなつもりで上がり降りする。手摺りがとっても重要になってきた。もう少し若かった頃にもっともっと階段を上り下りしておけば良かった。