ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

習慣

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丸の内仲通り
 ちょっと油断、というよりもかなり油断しているうちに、私の睡眠時間というのは変なことになってしまっている。夕飯を終えてから2時間くらい立つと普通に眠くなるので、「やれやれ」といいながらラジオのイヤフォンを耳に突っ込んで寝てしまう。気がつくと真夜中の午前0時くらいである。ここで目が覚めてしまう。起き出す。コーヒーを飲んだりして、パソコンをこんな具合にいじっていると、午前4時頃になる。こうなるとお腹が減ってくる。だから朝飯を食べてしまう。すると、2時間後には眠くなる。耐えられないくらい眠くなる。だから、寝てしまう。
気がつくと午前中はほとんど終わってしまっている。これで、だいたい両方で6-7時間は寝ている。甚だしい場合は午後5時くらいから1.5時間ほど寝てしまう。すると全部で7-8時間は寝てしまう。どう考えても寝不足ではない。ただ、分断されているだけだ。

いよいよ

f:id:nsw2072:20191203174445j:plain 平河町で開かれていた旅行会社の説明会という名前の旅行宣伝会に参加してからの帰り道を大手町で地下鉄を降りて、皇居のお堀に出たら、お堀沿いのイチョウの木が真っ黄色になっていて、とても綺麗だった。ビルの谷間は日頃からお陽様がささないからまだまだなんだけれど、四六時中お陽様がたっぷりと降り注いだ木々はもうすっかりと真っ黄色になっている。だから今通り抜けられるようになっている乾門のあたりはさぞかし真っ黄色だろう。そういえば東京駅の行幸通りに年寄り夫婦の二人連れが溢れている。あれも、春・秋だけの公開ではなしに、一年中通り抜けできるようにしたら良いのにと、思うんだよねぇ。もったいぶったりしないでさ。だいたい、天皇さんは京都にそろそろお帰り戴いて良いと思うんだよね、あっちにあんなに広大な敷地があるんだからさ。この機会にそうして貰えば良かったのにね。なるちゃんもふみちゃんみたいに「天皇家の行事に税金遣うのはいけない」といってみたりすれば良いのにね。

 そう、もうずいぶん長いこと、丸の内の仲通りを通らなかったモノだから、その様変わりぶりには驚いちまって、まるで全然違うところに来たようだった。道路の脇には、なんだかおふざけのようなラグビー絡みのスタッチューがあったり、道路の真ん中にテーブルが出してあって、車は通行止めになっていて、昔の寒々としたオフィス街ではなくなっている。もっともあれはあれでちゃんと機能が分けられているという意味合いがあったといっても良いかもしれない。いや、むしろ昔の記憶の中に生きている当方としては、余計なことをするなよ、三菱地所よ!といいたいだけだ。あの時、あんな立場で、良くあんな日々を送ったものだ、とか、商工会議所にいって原産地証明なんてものを出して貰ったりしたもんだったよなぁとか、日頃想い出しもしないことを思いだした。

 途中で物思いにふけりながら歩いていると、まるでラッシュアワーの人混みの中で歩いているかのように後ろから踵を蹴っ飛ばされ、思わず飛び退いてみると、それが60代とおぼしきおばさんで、人の顔を見て会釈する。どういうことだろう。なんでそんなにせっついてきたんだろう、と思って心外だったのだけれど、多分よそ見をしながら歩いていたんだろうなぁ。それだったら、きちんと謝って欲しいよねぇ。今時の人は、黙って会釈をするだけの人がなんと多いことか。しかし、それでもそれがまだマシな方で、道を譲っても、扉を押さえてあげても、何も云わずに当然だと通り過ぎる人の方が多い。「ありがとう!」とか、「失礼!」とか、声を出す人は非常に少ない。昔はもっと人は声に出して謝ったり、感謝した。と、こういうことを言うのが爺さんの役割だ。

f:id:nsw2072:20191203204739j:plain:w360:right 三州屋銀座一丁目店は、とうとうあのおばさんがいなくなり、そうなると、お店の雰囲気が途端に緩んでしまった。あのおばさんのおかげで店が締まっていたんだなと良くわかる。洗い方の中国人のおばさん二人の会話は客席にまで聞こえるように平然と交わされているし、厨房では器は落とすし、丼の中のご飯は温め方がいい加減になってきている。おばさんの引退と共に、私が通うこともこれで終わりのような気がする。あの海鮮丼ほど美味しい海鮮丼には出逢ったことがない。一度で良いからあれを酢飯で食いたかった。

意を決して

f:id:nsw2072:20191203025440j:plain:w240:left 9月にやった区の健康診断の結果を10月に聞いた。その時に、検便が血液反応があったと、生まれて初めて表示された。すると、その検診を受けたかかりつけ医が「さぁ、今すぐ胃カメラ検査の予約をしよう」といったんだよ。おかしいなぁ、それだったら本当はやらなきゃならないのは大腸検査じゃないのかなぁと。大腸検査はそこじゃとてもできない。自分が心配になるのはそっちの方で、今日ようやく区立民営みたいな病院に意を決して出かけていった。何人もの医者が入れ替わり立ち替わりの総合診療科に申し込んで、私に廻ってきたのは女医さんだった。
 すると、その医者はすぐさま、大腸検査をするにはCTによる仮想大腸内視鏡検査というものがある。但し、これではもしピックアップする必要があると思われるポリープがあってもとれないんだから、もう一度、今度は実物の内視鏡でやらなくてはならないのだけれど。で、どうします?というので、間髪を入れず、即座に「CT!」とここだけ大きな声。
 来週月曜日に検査をしよう、ということになったんだけれど、そうすると日曜日から準備の指定食だけになると、聞かされた。やや、それは困るなぁ、前日はうちの記念日会食なんだよなと気がつき、家に帰ってきてから病院に電話。一日繰り延べにして貰う。
 そろそろ身体のあちこちにいろいろ起きそうな年齢になってきているので、これからなんだかんだと面倒なことになりそうだよなぁと、結構憂鬱。

訃報

 大学の時の先輩のおひとりが先月末に亡くなったそうだ。もう10数年おつきあいが亡かった方だけれど、二歳年上で、学生時代にはインター・スクール・サークルでご一緒した。カントリー音楽が大好きで、かつて日本のこの分野で活躍していた女性ヴォーカリストを随分熱心に応援されていたのを知っている。
 何年か前にやはり一歳年上の先輩が亡くなった時のお通夜でお目にかかった時には真っ白になった長い髭を生やしておられたけれど、それは今時には珍しい髭だった。なんだかまるでZZ Topじゃないかと思うような髭だった。
 もうほとんどおつきあいが亡かったのだけれど、その人のFacebookのアカウントにお嬢さんがその旨をアップしたそうで、それをFacebookで繋がっている友人のひとりがLineで教えてくれたというわけで、なるほどSNSはこういう風にも機能するんだと知った。SNSがなかったらあの先輩の訃報を随分知らないままだったのではないかと思う。
 そろそろ自分たちの世代の訃報が届くような時期になってきた。

ミシュラン

 すきやばし次郎がミシェランから除外されたんだそうだ。理由は普通のお客が入れないからだってんだね。常連とか、高級ホテルによる紹介とかじゃないと入れないんだそうだ。ほぉ、そんなことになっているのか。
 全然関係のない話なんでどうでも良いんだけれど、だいたいミシュランで星をとっているというレストランに1-2回欧州ではいるチャンスがあっただけの経験と、テレビで見ただけでいわせて貰うと、なんだかシュッとか、シャッとかしたソースの置き方とか、変に手間暇かけたような料理が出てくるのにはもうなんの興味もない。それよりはピブグルマンとかっていう比較的安い、食い物屋の紹介の方が役に立つんだけれど、それですら、行ってみると列ができていたりして、なかなかチャンスがない。多分死ぬまでにそれほどのチャンスはないだろう。それで良い。

あれから60年

f:id:nsw2072:20191201031024j:plain:w360:left  今、なんの唄を歌うにしても、そのkeyが気になる。低い方はまだしも、気になるのは高い方だ。昨日の音合わせで、多分原keyでは出ないと思うので、ちょい下げのkey変更を覚悟していて欲しいと伝えていた。部屋で口先で唄ってみて、これはちょっと無理かも知れないと思ったからだ。しかし、音合わせの現場でやってみると、何ということなく、これが出た。10年以上昔に唄ったことがある曲だったのだけれど、多分あの時は下げたんじゃないか、と思っていた。原keyでこともなく出たのは、これは多分あのヴォイストレーニングのおかげじゃないかと思う。普通だったら加齢と共にkeyを下げるのが当たり前で、それを無理矢理に原keyで唄っても聞く人に気の毒なだけだ。ありがたいことに、楽器の皆さんにご迷惑をおかけすることなく、そのままの譜面で事が済んだ。
 60年前、小学校6年生の時に、たった一年在籍した小学校で学校の合唱隊に入れてくれたことがある。多分当時から歌う声が大きかったからだろう。音楽の時間にひとりひとり前に出て唄うということがあって、もうすでに人よりも大きな声で歌っていた。合唱隊に入ったことで、結構本人はその気になっていた。地元の放送局が主催する小学生歌コンテストみたいなモノが開かれて、何人かの生徒と一緒に参加することになった。歌う唄は、元はといえばイギリス民謡で、日本語の歌詞がついた「とうだいもり」という歌。イギリス民謡ということになっているけれど、メロディー自体は聖歌ではないかという。つまりボーイソプラノを歌うことができていた、ということだ。ところが世の中そんなに旨く行くわけはない。そろそろ私は声変わりに近づいていたらしい。学校で唄っていた時は難なくこなしていたのに、当日会場に行ってみると、なんと上の声が出ない。緊張していたのか、既に変声を迎えていたのか。もちろん、箸にも棒にもかからない。あえなくそれで話は終わってしまった。その後、人前で唄うチャンスは高校になるまでやってこなかった。あの時、まだ変声を迎えていなかったら、人生は変わってしまっていたのかも知れない。そういう意味ではこれで良かったのかも知れない。今になって楽しい歌を唄えているんだから。

こおれる月かげ 空にさえて
真冬の荒波 よする小島(おじま)
想えよ とうだい まもる人の
とうときやさしき 愛の心

爺さんは引退せよ

全国高校選抜北信越大会で、県協会の下池新悟会長が「石川県には五輪の内定者が2人(梨紗子(25)=ジャパンビバレッジ=と62kg級の妹・友香子)います。しかし、残念ながら女です」と発言したといわれている。(2019年11月28日 6時0分スポーツ報知)

 当の会長はこの発言を否定。石川県には県レスリング協会の他に金沢市レスリング協会という団体もあって、両社は対立しているんだといわれている。
 川井選手の父親、川井孝人は日体大の出身で、石川県高等学校体育連盟レスリング専門部専門委員長という肩書き。母親初江さんはやっぱり女子レスリングの選手だった方で、今は「金沢ジュニアクラブ」のコーチだという。
 県協会の会長が「こんなことを言っていたら昔だったら父親はクビだ!」なんという発言までしちゃっている。テコンドーやボクシングのあの人たちと比べられてしまうんだろうが、いかんせん、あまりにも価値観がずれてしまっている。こんなに様々なことが大きく変化する時代にあっては、なおさら価値観のずれは大きい。