平河町で開かれていた旅行会社の説明会という名前の旅行宣伝会に参加してからの帰り道を大手町で地下鉄を降りて、皇居のお堀に出たら、お堀沿いのイチョウの木が真っ黄色になっていて、とても綺麗だった。ビルの谷間は日頃からお陽様がささないからまだまだなんだけれど、四六時中お陽様がたっぷりと降り注いだ木々はもうすっかりと真っ黄色になっている。だから今通り抜けられるようになっている乾門のあたりはさぞかし真っ黄色だろう。そういえば東京駅の行幸通りに年寄り夫婦の二人連れが溢れている。あれも、春・秋だけの公開ではなしに、一年中通り抜けできるようにしたら良いのにと、思うんだよねぇ。もったいぶったりしないでさ。だいたい、天皇さんは京都にそろそろお帰り戴いて良いと思うんだよね、あっちにあんなに広大な敷地があるんだからさ。この機会にそうして貰えば良かったのにね。なるちゃんもふみちゃんみたいに「天皇家の行事に税金遣うのはいけない」といってみたりすれば良いのにね。
そう、もうずいぶん長いこと、丸の内の仲通りを通らなかったモノだから、その様変わりぶりには驚いちまって、まるで全然違うところに来たようだった。道路の脇には、なんだかおふざけのようなラグビー絡みのスタッチューがあったり、道路の真ん中にテーブルが出してあって、車は通行止めになっていて、昔の寒々としたオフィス街ではなくなっている。もっともあれはあれでちゃんと機能が分けられているという意味合いがあったといっても良いかもしれない。いや、むしろ昔の記憶の中に生きている当方としては、余計なことをするなよ、三菱地所よ!といいたいだけだ。あの時、あんな立場で、良くあんな日々を送ったものだ、とか、商工会議所にいって原産地証明なんてものを出して貰ったりしたもんだったよなぁとか、日頃想い出しもしないことを思いだした。
途中で物思いにふけりながら歩いていると、まるでラッシュアワーの人混みの中で歩いているかのように後ろから踵を蹴っ飛ばされ、思わず飛び退いてみると、それが60代とおぼしきおばさんで、人の顔を見て会釈する。どういうことだろう。なんでそんなにせっついてきたんだろう、と思って心外だったのだけれど、多分よそ見をしながら歩いていたんだろうなぁ。それだったら、きちんと謝って欲しいよねぇ。今時の人は、黙って会釈をするだけの人がなんと多いことか。しかし、それでもそれがまだマシな方で、道を譲っても、扉を押さえてあげても、何も云わずに当然だと通り過ぎる人の方が多い。「ありがとう!」とか、「失礼!」とか、声を出す人は非常に少ない。昔はもっと人は声に出して謝ったり、感謝した。と、こういうことを言うのが爺さんの役割だ。
三州屋銀座一丁目店は、とうとうあのおばさんがいなくなり、そうなると、お店の雰囲気が途端に緩んでしまった。あのおばさんのおかげで店が締まっていたんだなと良くわかる。洗い方の中国人のおばさん二人の会話は客席にまで聞こえるように平然と交わされているし、厨房では器は落とすし、丼の中のご飯は温め方がいい加減になってきている。おばさんの引退と共に、私が通うこともこれで終わりのような気がする。あの海鮮丼ほど美味しい海鮮丼には出逢ったことがない。一度で良いからあれを酢飯で食いたかった。