ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

朋あり

 夜も10時を過ぎて電話が鳴る。うちは夜7時を過ぎると殆ど電話が鳴ることはない。何事かと出ると近所の友達だ。もう酔っている。当たり前か。人が来ているから来ないかという誘いだ。発泡酒の缶を数本もっていくと、できあがっている人とできあがってない人が混在している。あんまり違和感がない。年末に忘年会イベントをやろうという話になっている。多分酔っぱらい楽器プレイヤーの大集合となるだろう。誰とやる?と聴かれたので、誰とでも良いよと答える。多分自分もその時は酔っぱらっているだろうからだ。そうか、もう年末のことを相談する時期になっていたんだ。

路地

 先日、国立新美術館に行った時に路地に入ってみたら路地の先にミッドタウンのおどろおどろしい建物がそびえている。そびえているという表現にぴったり。その先は袋小路かと思ったらそのままビルの中に入っていく。それでも今風な若者が入っていったからそのまま入っていったらビルの裏から表に抜けた。近隣の皆さんからいくらあんたらの土地だといっても通り抜けられるようにしておくれよという要望でもあったんだろうか。こんな類のビルは銀座にもある。
 銀座といえばタカオカ靴店の残りはわずかに4足。あの靴がなくなるとあのおじさんはどうなるんだろうか。

そりゃ今時おかしいよ

 例の沖縄で発生した米軍兵士によるひき逃げ事件。

 県警が容疑者の米兵を特定し米軍に捜査協力を求める犯罪通報の手続き後、日本側は20日以内に第1次裁判権を行使するかどうかの判断を米側に知らせなければならない。地位協定に詳しい新垣勉弁護士は「期限が決まっているため、起訴するに足りる証拠を固めた後に犯罪通報するのが一般的だ」と話す。
(2009/11/18 19:56 【共同通信】)

 こんなのいくら何でもおかしいよ。日本が要求するよりも何よりも米国側が、今時こんな人種差別的協定を結びっぱなしにしていて悪かった、こんな協定じゃなくて、一般市民と同じような取り扱いにしよう、さ、この軍曹を裁いてください、というのが当然なんじゃないか。米軍司令官、在日大使の意見を求めたい。

徳島 裁判員裁判

 昨日から徳島での二例目になる裁判員裁判が開かれていて、今日が二日目になるのだそうだ。判決を最終日である20日(金)の午後4時と予定しているそうだ。
 そこで裁かれている事件は今年の5月11日に鳴門市の海岸で頭部と両手足が切断された男性の胴体部分の遺体が発見されたところから報じられた。二日後に被害者は大阪の33歳の男性だと判明し、62歳の父親が逮捕された。
 一体何で父親が息子を殺したんだろうかという点で引っかかっていたのだけれど、もうひとつはこの父親が私と同世代であったことも自分に照らし合わせて考えてしまったこともある。
 事件報道を見ると父親が「息子の家庭内暴力に悩み、将来を悲観してやった」と警察で答えている。家庭内暴力に至るには背景があるはずだ。その背景がなんだろうかと疑問に思ったけれど、その後の報道を私は捉えられなかった。
 それが今回の裁判員裁判の報道でわかった。
 被害者である息子はどうやら長いこと統合失調症を病んでいたようだ。それだけではなくて2008年5月に女性に抱きつき、押し倒してけがをさせる事件を起こし、朝日新聞徳島版の記事(2009年11月17日)によると、「今年の2月に大阪地裁で強制わいせつ致傷の罪で懲役2年6カ月保護観察付き執行猶予5年(求刑懲役3年)の判決を受けていた。当時も統合失調症を患っていたが、裁判所は刑事責任能力があったと認定した」という過去がある。同記事によると「医療観察法」は不起訴や無罪、心神耗弱のために減刑になった者に限られ、彼はこの事件でも責任能力ありと見なされたため、対象外とされて、家族のもとへ戻されたという。家族にとっては実に辛い状況である。
 父親は「息子の統合失調症が治らず、将来を悲観した。家族のために殺すしかないと思った」と警察で語っているそうで、徳島新聞(2009/11/18 14:45)によると「大阪府の池田小のような事件を耳にすると、息子もこういう事件を起こす可能性は十分にあると思い、それが一番心配だった」と振り返り、妻に聴かれたら「友達と一緒に住むようになった、とうそをつくつもりだった」と語り、「身辺整理をしてから自分も後を追うつもりだった」と語ったと伝えられている。
 私はこの問題はとても大きな問題だと思っている。これまでにも精神障害を病んでいると思われる犯人、あるいは知的障がいを抱えていると思われる犯人による事件が起きているけれど、被害者側の気持ちを考えてその当時の犯人の刑事責任能力はあるという判断に傾いているような気がするということにもある。
 しかし、それよりも上にあるような「医療観察法」等の、そうした人々をケアしていくシステム、考え、環境作りはただただ現場のソーシャル・ワーカーの個人的な努力だけに頼ってそのままになっているように思えてならない。現場そのものを知りもしないでいうなといわれてしまいそうだけれど、どう見ても社会全体のあり方からいったら今でも「臭いものにはふた」という状況の中に放置されているように思えてならない。
 こういう事件が裁判員裁判で裁かれるというのは如何なものかという思いもあると同時に、現在の法令に如何に準じて裁くかという法のための裁判なのかどうかわからなくなってしまう従来裁判でないだけ、より争点が浮き彫りになるのかもしれないという期待もないではない。しかし、これだけの期間ではそこまで突っ込んで語るというわけにはいかないはずだ。
 八ッ場の問題は大きく報じられているけれど、こっちの問題も本当は同じように大きく語って貰いたい。

八ッ場 ヒ素

 八ッ場ダム建設に反対していた「八ッ場あしたの会」が以前から吾妻川流域のヒ素について警告していたが、その根拠は一体どこにあるのかわからない、と私は書いた(こちら)。
 そうしたらこんな記事が出ている。

八ツ場ダム上下流ヒ素 1994年度から環境基準超える
 国土交通省が八ツ場ダム(群馬県)建設予定地のある吾妻川などで水質調査を実施し、支流から環境基準を超えるヒ素を1994年度から継続して検出していたことが13日、分かった。八ツ場ダム上流にある温泉や鉱山から流入していた。国交省は公表しなかった理由について「取水しておらず、健康被害が出る恐れはなかった。9月に水質データなどを盛り込んだ報告書を公表する予定だったが、政権交代でダム建設中止の方針が示され、先送りしていた」と説明している。
 河川のヒ素の環境基準は1リットル当たり0.05ミリグラムだったが、1994年度から0.01ミリグラムに強化された。水質調査は1976年度に開始。2007年度は計17カ所で測定し、5カ所で基準の1.3〜100倍のヒ素を検出した。うち4カ所はダム予定地の約10キロ上流付近。残る1カ所は予定地の下流だが、取水地点からは離れている。ダム予定地では2000年度から調査を始め、一度も基準値を超えていないという。
2009/11/13 21:10 【共同通信

 これで根拠のない話ではなかったことがわかった。わかったのは良いけれど、「今は」取水していないから良いかもしれないけれど、ダムができたら取水する計画になっていたはずだ。これは明確に国民を騙すためにやってきたといって良いだろう。ここまで進んできた計画が大騒ぎになったら困るから隠してきたというべきだろう。ここで政権交代が起こらなかったとしたら、そのままこの水が下流域の一都六県に対して供給されていくということになったはずだ。これに対して一都六県の知事諸兄はどう反応するのだろうか。それとも、そんな程度の水の汚染は今や問題になんてならないのだ、とでも反論するのだろうか。
 酸性水を中和するために放り込んでいる石灰との化学変化で形成された沈殿物があの「品木ダム」に堆積していて、それを浚渫しているけれど、そうして取り出された物質をどの様に処分しているのだろうか。あの品木ダム近辺にはヒ素公害が発生していないのだろうか。話はそこまで行かなくてはならないのではないのだろうか。

用心

 もうかれこれ40年近く前の話。当時の一戸建てのうちなんかだとギーバッタン!と閉まる木の扉のロックなんて物は至極いい加減なもので、木でできた閂(かんぬき)を上下二つ作って外からは一つを横にスライドして開けるんだけれど、もうひとつは外から見えなくてうちからのロックにしていた。トイレなんかの扉もそんなもんだ。
 私の友人のうちの裏口のその簡単なロック機構が壊れたらしい。すぐに直せなかった。するとそのうちのあるじたるオヤジが布団を裏口そばまでもっていって、自分の足首にひもを結びつけ、その片っ方を扉に結びつけて、もし万が一外から誰かが扉を開けたらすぐにわかるという態勢を取って寝たという。
 そんなのはその紐をほどいてしまえばそれまでだし、私たちは「なんて臆病なんだ」と笑った。
 ところが今やそんな人を臆病と笑ってはいられない。いつどこでどんなことが起こるかわからない。衆人環視のラッシュアワー中の新宿駅の構内で49歳の、自分でも娘を持つ男が自分の娘と同年齢の女子高校生を地下の公衆トイレに連れて行って暴行しちゃうなんてことが平気で起きる時代なのだ。
 すべからくなんでもアメリカで起きている状態が、伝播にかかる年数にばらつきがあっても、必ずやってくるのがこの日本という国であり、社会であることには異論はないだろう。
 かつて良く治安の悪いアメリカを説明するのに、鍵をいくつもつけていて、開けられちゃう可能性は減っても、自分でそれを開けるのに手間取っているうちに暴漢に襲われちゃうんだよ、といって笑いものにしていた覚えがあるけれど、もうここでもそれは笑えなくなりつつある。
 20-30年ぐらい前からモラルはどうでも良いことになりつつあった。それまで高校生でたばこを吸っている奴はいくらもいたけれど、それは大ぴらに天下の公道でではなかった。隠れていた。ところがその頃から平気でやるようになった。誰も何もいわなくなったし、そうした「社会の目」という物が機能しなくなった。
 どんなに破廉恥な格好をしていても(そもそももう破廉恥という言葉自体が意味をなさない)誰も何もいわなくなった。かつての植草甚一がしていたような格好を今は誰もおかしいといわなくなった。彼が今生きていたら、別段脚光を浴びなかったかもしれない。あの頃だからこそ、あの年齢で(といっても今の私と大差ないわけだけれど)あの格好をして、古本を抱えて神保町のコーヒー店でその本を片っ端からひっくり返していたらみんな興味を持ったんじゃないだろうか。
 今じゃ、「なんてぇ格好をしているんだ、あいつは!?」と云おうもんなら「そんなことを云うなよ、人は格好じゃわからないんだから」という反応が返ってくるし、確かにそれも一理あったりする。
 「オレオレ詐欺」やら「婚活詐欺」やらの話を聞いているともう油断も隙もなくてちょっとした個人情報を入手したらそこから売り込みをかけるぐらいは可愛いもんで(今のところ間に合ってます!」といってしまえば良いんだから)、20歳になる子どもがいるとわかると「友達なんですけれど、いますか?」と云って本人を電話に出させてそこで保護者の承諾のいらない通販攻勢をかけてきて、とんでもない物を高い値段で売りつけるなんてこともしていた(もう携帯電話の世界になっちゃったからそんな電話がかかってきたら一番怪しい)。
 なんでこんなに電話ごときで引っかかっちゃうんだろうと思うけれど、ぼぉ〜っと暮らしていたら引っかかっちゃう。ぼ〜っとしていなくたって引っかかっちゃう。私だって、わからないだろう。
 だったら余計に用心しなくちゃならないといわれても、どう用心して良いのかわからない。みんな孤立して生活しているから発想としてすぐに「どうしよう?」と相談できる対象がいない。
 やろうと思えばゴミを朝一でいってかっさらってきたら、きっと中から個人情報の一つや二つ、すぐに見つけられるだろう。そこから何かを仕掛けられてしまうかもしれない。
 もうそこまで用心しなくちゃならない時代が来ているのは確実だと思う。それでも、まさかここまでそんな被害は及びやしないと思って暮らしている。そのうちね、そのうち!といっているうちにやられかねない。
 足首に紐を結びつけて寝たあのおっさんを笑えない。
 こういう社会がやってきちゃうのは時代の趨勢でもうどうにもならないということなのか。歯止めができるのだろうか。多分無理なんだろうなぁ。
 あれだけ夕方のテレビ番組が「困った時のなんとか・・」のように盗聴機器の摘発物をやっているのに、どうしてあの種の機器の野放しがそのままの状態であるのだろうか。外国から輸入されてしまうと摘発しにくいのだろうか。それとも警察にとってはあんな捜査に注力したって経済効率は低い、とでもいうのだろうか。