わが家創設37周年に食べに行きたいといっていたトマトソース・ワタリガニ・パスタをとうとうやっつけた。多分これは4年ぶりの快挙だろう。事前に電話をして、今夜のメニューにこれがあることを確かめてから勇躍出陣。これをどうしてランチに出してくれないかなぁ。なにか違う小料理を一緒に頼もうかと思ったんだけれど、メニューを見たら牡蛎のフェティチーノもありだというし、やっぱり季節だからねと両方のパスタを頼んでしまってそれで満足。アンティパストは5種類をほんのちょっとずつ。ゴボウ、セロリのピクルス、鶏のジュノベーゼ、あとが思い出せない。一杯のグラスワインが気持ちよくて、パスタもそれはそれは美味しくて、勢いがついて2週間前に痛飲したシングルモルトのBarに行って間抜けにもバーボン・ソーダを2杯呑んですっかり酔い、うろうろと足を引きずりながらこんな早い時間にもかかわらず早くもシャッターが並ぶ街を歩いて帰ってきた。あとで聞いたら今日はこの街並みは休みの曜日だという。綺麗に新築されたあの蕎麦屋に一度入ってみようか。
タイプライター
1970年代にIBMが画期的なタイプライターを販売した。それがWheelwriterというやつで、それまでのOLIVETTIとかSmith Corona、Remington、Underwoodなんてメーカーのタイプライターは棒の先についた活字が紙を叩いて印字していたが、これはボールの表面に活字が刻印してあってこれがくるくる回りながら紙を叩く。それまでのものと異なって印字がとても綺麗に仕上がる。しかも間違って消す時も修正テープを使って同じように打つと綺麗さっぱりインクをはぎ取っていく。
このタイプを初めて見た時はそれこそびっくりしたものだ。私がいた職場にこいつがやってきたのは多分1973年頃だったような気がする。とても高いもので、多分一台百万円くらいしたんじゃないだろうか。暫くは提供品だったのだけれど、一度使い出したら止められない。多分販売会社の戦略にウマウマと乗ってしまったのではないだろうか。これは音も静かで使い心地がたまらなく良かった。
IBMの5550というパソコンを使ってワードプロセッサーを使い始めたのは多分1983年頃のことではないかと思う。初めて原稿をこのワープロで書いて渡した時にびっくりされた記憶がある。「これじゃ手が入れにくいなぁ」といわれた。この間丁度10年くらいである。ここから先、和文も英文もタイプライターの出番がどんどん狭まっていった。1980年代の終わり頃には各部にワープロ専用機があちこちにおかれていた。
あのIBMのWheelwriterはそう考えると随分短命だったんだろうなぁと思って念のためと思ってちょっと検索してみたらなんと今でも販売しているお店がある。今時あのタイプライターを一体、何のために使っているんだろう。
「小判一両」
今更ながらの話で大変に恐縮なんだけれど、圓生百席に入っている宇野信夫作「小判一両」を蒲団に入ったまま聴いていた(今朝は寒くて蒲団から出られない)。こんな噺、聞いたことがない。聴いたことがないわけで、最後の芸談のところで圓生がいうにはこれまでには二回しかやったことがないというのだ。
宇野信夫は物語(放送劇?)じゃなくて人情噺にしてくれといわれて弱ったそうだ。昭和36-37年に放送で一回やった。しかし、一時間だからそうそうかけられなくて、人形町の末広での独演会にかけたいと、宇野信夫のところに行って了解を貰い、菊田一夫の「水神」とをかけたわけで、その時は新作を二つかけたことになる。
そんな話はつゆ知らず、聴いていてなんだか歌舞伎の舞台を見ているようで、こういう噺ってのはそっちの方に使える噺だなぁと思っていたら元々六代目菊五郎の安七と初代吉右衛門の浅尾で1936年に初演されたものだそうで、話は逆だった。
近いところでは2006年2月歌舞伎座夜の部で現在の菊五郎と吉右衛門で演じられているんだそうだ。
凧を売る男とざる・味噌こしを売る男の絡みを聴いていて思ったのはこの時代のこうした商売はどうやってこういう品物を持って歩いていたんだろうかということだった。歌舞伎の方は格好をつくらなくてはならないからざる屋が天秤棒を担いでいることにしてあるのは想像がつくが、凧やというのはどうしていたんだろう。
それにしても圓生のこの語り口がとても人前で数えるほどしか口演していないとは思えず、かなり稽古をしたに違いないと思わせるが、噺家もここまでくると自分の芸のレベルを保つためには相当に精進しなくちゃならないんだろう。凝り性じゃなきゃこうした仕事で大成することはかなわない。
今更ながらではあるけれど、感嘆。
しかし、それにしても落語を趣味にしておられる方というのはどちら様も大変に凝り性の方が多いらしくて、この噺をググってみるとこの噺にしてもTBSの放送の時はどんな枕を振ったのか、人形町ではどうだったのかまできちんと再現してアップしておられる方がいたりするのは実にどうも驚きである。
大島君と二階君
二階君が「辞任」と書いてあったので、そりゃ凄い、これじゃ民主党も自民党に負けるぞと思ったらなんちゅうことはなくて、「党の選挙対策局長」を辞任するという話で、なんだ国会議員を辞めるという話じゃなかったんだと、まぁその程度だとは思うけれど、その「そんな程度」も大島君が辞めるなよ、と慰留しているんだそうだ。これはどうせ仕組んだ行動なんじゃないのか?
後ろにこの話を抱えていたんだからなにもそれを押して二階君をこういう役職に就けなくても良いじゃないかと思ったんだけれど、人がいないんだろうか。人ごとながら、いくら何でも人選に誤りがありそうな気がする。
鳩山兄弟に比べたら二階君が西松建設から個人献金だと偽って貰った900万円なんてチョロい、チョロい、というものなんだろうか。事業仕分けで9600億円「しか」削減できなかったという表現をするのと同じなんだろうか。私にしてみたらどっちも想像のつかない金額だ。一度で良いから900万円を持ってみたい。
鳩山兄弟のお母さんもこの際、贈与税を自分が負担すればいいのに、金持ちってこういうことになるとケチなんだろうか。まさかあのお母さんが息子の名義に移したらそれ位の税金がかかるってことを知らないわけはないだろうに。お粗末きわまりないね。
追記:091215:自民党総裁(よく考えてみると随分と大げさな肩書きだ)は二階君の党内役職からの辞任を受理したんだそうだ。ま、「議員を辞めた」訳じゃない。ささ、鳩山由紀夫になんと言うんだろうか。民主党の代表を辞めればいいってこと?
皇室の政治利用?
揉めているのは何なんだろうかと思ったら中国から来た副主席と天皇陛下との面会が一ヶ月前までに申請しなくてはならないものをそれを過ぎてからも突っ込んだのはルール違反だということのようだ。天皇陛下もお歳だからそんなに急にたくさんスケジュールを突っ込むなという話なのかと思った。そっちの方が心配だ。もうそろそろ皇太子がその役割を代わってあげるということにすればいいのにと思うことしきり。
「政治利用」だという指摘は、別に小沢一郎の肩を持つ訳じゃないけれど、そりゃおかしい。そんなことをいったら一ヶ月前にお願いをしようとそうじゃなかろうとそれはみんな同じで、みんな「政治利用」であることには違いない。それはこれまでもずっとそうだったはずだ。尤もその一ヶ月前というルールは天皇陛下の身体を気遣ってつい6年前に作られたルールなんだそうだ。
とにかく先の政権がその力を失った頃とは違って今の政権は内閣支持率が先月に比べて9%も落ちてきたとはいえ、まだ60%弱を守っているわけで、その内閣を見ていると、そして失った議席のことを考えると自民党にとってはなんだか絶望的なことのように思えるものだから、必死になって防戦にあたっているんだなぁというように見える。産経新聞にもその必死ぶりがひしひしと見える。日頃から良く話題になる阿比留瑠比の署名記事に至っては、私の日頃の言動のように代名詞しか使わない。せいぜい個人のブログに書くような中身じゃないか。
「官房長官から内閣府の外局である宮内庁の長官へという指揮命令系統を使ったということは、実質的に陛下に直接指示するのと同じだ」
宮内庁幹部はこう指摘する。また外務省幹部の一人は、一連の政府・民主党の動きをこう言い切った。
「亡国政権。小沢氏の意向が背後にあるのだろう」
外交当局が、ときの政権を「中国の走狗」「亡国政権」とまで形容するのは極めて異例だ。
一方、政府筋は14日、「前政権のルールは知らないし、報道に違和感を持っている」と語った。
(msn産経ニュース2009.12.15 00:04)
宮内庁長官という役職はなんだか偉いんだねぇと、ここに何かの芽なのか、何かの根っこだかがコツンと当たり、この辺のラインを辿って明確にしておかないと伏流水が何処かで溢れるかも知れない。
先日のNHKの「日米開戦を語る 海軍はなぜ過ったのか」の番組評をあちこちで読んでいたら、当時の経済封鎖をそのままにしていたら国内に多くの犠牲者が発生したはずで、それを打開するために撃って出たあの判断は間違っていない、だなんて書く人が現れるような、そんな芽だか根っこだかも何処かにあるんだろうなぁ。そうした解釈するのであったら今の北朝鮮が何かを撃ち込んできても文句いえないじゃないか。