ほぼ足りてまだ欲 その先

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「小判一両」

 今更ながらの話で大変に恐縮なんだけれど、圓生百席に入っている宇野信夫作「小判一両」を蒲団に入ったまま聴いていた(今朝は寒くて蒲団から出られない)。こんな噺、聞いたことがない。聴いたことがないわけで、最後の芸談のところで圓生がいうにはこれまでには二回しかやったことがないというのだ。
 宇野信夫は物語(放送劇?)じゃなくて人情噺にしてくれといわれて弱ったそうだ。昭和36-37年に放送で一回やった。しかし、一時間だからそうそうかけられなくて、人形町の末広での独演会にかけたいと、宇野信夫のところに行って了解を貰い、菊田一夫の「水神」とをかけたわけで、その時は新作を二つかけたことになる。
 そんな話はつゆ知らず、聴いていてなんだか歌舞伎の舞台を見ているようで、こういう噺ってのはそっちの方に使える噺だなぁと思っていたら元々六代目菊五郎の安七と初代吉右衛門の浅尾で1936年に初演されたものだそうで、話は逆だった。
 近いところでは2006年2月歌舞伎座夜の部で現在の菊五郎吉右衛門で演じられているんだそうだ。
 凧を売る男とざる・味噌こしを売る男の絡みを聴いていて思ったのはこの時代のこうした商売はどうやってこういう品物を持って歩いていたんだろうかということだった。歌舞伎の方は格好をつくらなくてはならないからざる屋が天秤棒を担いでいることにしてあるのは想像がつくが、凧やというのはどうしていたんだろう。
 それにしても圓生のこの語り口がとても人前で数えるほどしか口演していないとは思えず、かなり稽古をしたに違いないと思わせるが、噺家もここまでくると自分の芸のレベルを保つためには相当に精進しなくちゃならないんだろう。凝り性じゃなきゃこうした仕事で大成することはかなわない。
 今更ながらではあるけれど、感嘆。
 しかし、それにしても落語を趣味にしておられる方というのはどちら様も大変に凝り性の方が多いらしくて、この噺をググってみるとこの噺にしてもTBSの放送の時はどんな枕を振ったのか、人形町ではどうだったのかまできちんと再現してアップしておられる方がいたりするのは実にどうも驚きである。