ほぼ足りてまだ欲 その先

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言葉は変わる

 先日古いタイプのiPodをお金を出してバッテリーを替えるという名目で新しいものと交換して以来、圓生百席を入れて何かというと聞いている。知らない話は一つとしてないのだけれど、久しぶりに聞いてみると、そういえばもうこんな言葉は使われちゃいないなぁとか、これは今の若い人には何のことだかわからないだろうなぁという話が結構出てくる。こうして見ると落語も変わらなくちゃいけないのだろうかという気にもなってこようかというものである。
 それでも歌舞伎の中で長唄常磐津、清元なんていうところがそのまま使われているように、それはそれでそのままにしておいて日本の耳障りの良い言葉がそのまま残るようにしていかなくてはいけないだろうと思う。
 なぁに、心配しなくたって今の若い人たちが歳を取ってきたらそれなりに、良いねぇ、なんていって愉しんでいるのかも知れない。
 それよりも心配なのは、廓噺だろうと思う。実をいうとこの私でも廓噺はもうあんまり楽しくない。はっきりいってしまうとこれは春をひさぐ商売の噺でそのバックグラウンドを考えるとそうそう笑っていられる噺なんかじゃない。
 そりゃ確かに「付き馬」「三枚起請」「居残り佐平次」「文七元結」のように舞台はそうでもそのまわりの状況のおもしろさがおかしい噺が多い。だけれども、「お直し」の様ななんだかどうも生々しいものだってある。この辺がこの先どうなるんだろうかと心配な気もする。