ほぼ足りてまだ欲 その先

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花街

 こう書くとなんだか格好良いけれど、花柳界って聞くと、私なんぞは下衆だから、ヤバい病気をそのまま思い浮かべちゃったりなんぞして、もうどうよ!といわれそうだ。かつてはその種の病気を花柳病なんぞといったものだ。
 東京には花街というような場所がいくらもあった。今でこそ、東京で花柳界といって残っているのは向島、新橋、赤坂、柳橋なんてところくらいしか思い浮かばないけれど、それこそ街という街には必ずそんな造りのいわゆる割烹、料亭というようなものがあった。それだけ他にワクワクするような楽しい遊びがなかったということなんだろうけれど、その「遊び」ってものがなんとも隠微なニュアンスが漂っていたわけだ。
 だから、「あいつはあすび人だからねぇ」なんていう言葉が今になってみるとなんちゅうこともないけれど、それはそれはしょうがない意味を持ったんだろうと、思うわけだ。
 池袋なんぞ、大塚の三業地とどこで線を切ったら良いのか知らなかったものなぁ。
 昭和33年3月31日を以て赤線というものがなくなったわけだけれど、それを今でもなんだかんだと引きずらないとやれない廓話がどうも聞きにくい。寄席にいったら噺家がかける噺を聞き手は選べないわけだけれど、どうも寄席の中では今でも、有り体に言って売春宿であった廓話を懐かしい、良いものがなくなったというニュアンスで語られるんですな。だから、いつまで経っても性風俗みたいなものが跋扈するんだし、当たり前に語られているのがどうしてもわからない。お前みたいな爺に言われたかぁねぇんだっていうんだろうけれど、どう考えたって、おかしい。
 だから、慰安婦問題だって、あぁだ、こうだと言い訳つけるのに違いない。卑怯千万である。